クラーク深藤:歌と共に生きる♪ 多様性・ボーダレスな人生の歩み方
得意な語学を生かし、旅行会社でフルタイムで働きつつ、副業で翻訳の仕事をこなし、家事・育児も両立させながら声楽家としても活動しているクラーク深藤(みふじ)さん。
イギリス人の陶芸家の父、日本人の母をもつユニークな家庭で育ち、イタリア留学やイギリス在住を経たクラークさんの人生は、まさに「多様性(ダイバーシティ)」そのもの。
その「多様性」や「バイタリティー」の源に迫ります!
「音TOWN」(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。
この特集は、音TOWNが目指す「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)「持続性」(サステナブル)「多様性」(ダイバーシティ)を実践している音楽家さん、経営者さん、経営しているお店などをご紹介するコーナー。
これからの時代に合った柔軟な生き方のモデルが見つかるかも!?
この記事を読むと役に立つ人は!?
・一般企業への就職と音楽(演奏)活動の両立を考えている方
・音楽以外の得意なスキルを生かしたい方
・グローバル・インターナショナルな価値観に興味のある方
読んだらどんな良い事が!?
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3歳の女の子がつないでくれた「ご縁」
<市川市の某所で開催したチャリティーコンサートでの写真>
藤井:深藤さんと僕は同じ千葉県市川市在住で、3年ほど前にSNSでメッセージをいただいてお友達になったんですよね。
クラーク:私の息子は生まれてからずっと病気がちで、入退院を繰り返していたんですけど、同じ病院に「拡張型心筋症」という、心臓移植が必要な重い病と闘う同年代の女の子が入院していて、アメリカで手術を受けるために3億5千万円必要だったんですよね。
チャリティーコンサートを企画するにあたって協力者を探していたところ、たまたま市内在住で、東日本大震災の復興支援やフィリピンの貧困支援などのチャリティーコンサートやボランティアもやっている藤井さんを見付けて、思いきって連絡させていただきました!
藤井:正直、3億5千万円という大金を集めるのは難しいのでは?という想いもあったんですけど、結果的には目標金額に達して、無事アメリカで手術を受けられたんですよね。
今では元気に小学校に通っているそうで、嬉しい限りです!
藤井:ちなみに深藤さんと僕は同い年で、一緒に企画したチャリティーコンサートで共演したヴァイオリニストも市川市在住の同年代。
僕は市川が地元ではなくて、近所に同級生や音楽仲間があまりいないので、こういった「ご縁」が出来てありがたく思っています。
クラーク:私のイギリス人の父は陶芸家で、市川の実家で陶芸教室をやっているんですけど、そこに通ってくださっているんですよね。
クラーク陶芸
https://www.clarktogei.com
藤井:はい、もう2年ちょっと通わせてもらっています!
僕はトロンボーン奏者で、ジャズやクラシックといった欧米の音楽に魅せられて、それを生業にしてきたんですが、「日本人として日本の文化・芸術にも触れたい」という想いと、「あえて音楽から離れる(趣味の)時間がほしい」という想いがあったんです。
そんなタイミングで深藤さんと知り合い、そのお父さんが陶芸家だったというのは、やはり「ご縁」だったと感じていますよ!
しかも、逆輸入というか、「イギリス人に陶芸を教わる」というシチュエーションが面白いじゃないですか(笑)。
教室は和気あいあい、アットホームな雰囲気で、日本人だけでなく、台湾やスペイン出身の方などもいて、日本語だけでなく英語も飛び交っていて楽しいです!
クラーク:楽しんでもらっているようで何よりです!
インターナショナルな環境で育った幼少期・学生時代
<父・クリス・クラークと工房にて>
藤井:すみません、僕の話ばかりになってしまいました(笑)。
ところで、深藤さんの音楽との出合いはいつ頃だったんですか?
クラーク:4歳でピアノを始めたのがきっかけです。ピアノは、まあ何となくって感じだったんですけど、歌うのが大好きな子どもだったんですよね。
小学5年生の時、ピアノの先生がご自身も声楽を習い始めて、歌が好きな私を見て、先生の声楽の先生を私にも紹介してくださったんです。
藤井:そうなんですね。ちなみに歌って歌詞があるので、ある意味、器楽の奏者よりも語学が大事な気もするんですけど、幼少期の家での会話は英語だったんですか。それとも日本語?
クラーク:ミックスですけど、「父が英語で話してくるのを日本語で返す」みたいな感じでしたね。
藤井:「ハーフあるある」なんでしょうけど、羨ましい…
僕は両親が大阪出身で、大阪生まれ・東京育ちなので、関西弁と標準語のバイリンガルなんですが(笑)、英語はアメリカ留学中も苦労しました。
中高で、もっときちんと勉強しておけば良かったと後悔しましたね。
深藤さんの中学・高校時代はどんな生活でしたか?
クラーク:中学までは普通の公立校で、高校進学前に市川市から父の工房のある養老渓谷(千葉県夷隅郡大多喜町)に引っ越しまして、そこから、五井の市原中央高等学校に通っていました。
田んぼの真ん中にあるような田舎の学校なんですけど、ここには「芸術コース・音楽専攻」があったんです。
※「芸術コース・音楽専攻」は2022年度から募集停止
専攻の声楽のほか、和声やソルフェージュの授業もあって、私以外の同級生はほぼ全員音大に進学しましたね。
藤井:深藤さんは早稲田大学ですよね。なぜ音大ではなく一般大に?
クラーク:私は半分イギリス人なので、将来は母国でもあるイギリスの音大に行きたいと思っていたんですよね。
毎年夏休みはイギリスに滞在して、現地の音大の見学に行ったりもしていたんですけど、「思春期の気まぐれ」とでもいうのか、高3の冬休みになって、急に音楽への興味がなくなってしまったんです(笑)。
「じゃあ、イギリスに行く意味もないな」と感じて、予備校に通って一浪で早稲田大学 社会科学部に入学しました。
とりあえず文系というだけで、何かやりたい事があったわけでもないんですけど。
でも、社会科学部は「広く浅く」なので、哲学とか文学の他に、国際経済学、税法、保険論なんかも学ぶ事が出来、結果的に今、音楽の仕事や、それ以外の仕事にも役立っている気はしますね。
藤井:大学時代は完全に音楽から遠ざかっていたんですか?
クラーク:入学したての頃はスキューバダイビングのサークルに入ったり、バイトをしたりで、いわゆる大学生活をエンジョイしていたんですけど、1年生の後半には「やっぱり歌がやりたい!」ってなっていました(笑)。
「早稲田をやめて日本の音大に入り直したい」という話をしたら、周りの大人たちに全力で止められたんです。
「どうしても音大に行きたいなら早稲田を卒業してからにしなさい」と。
藤井:ある意味真っ当なアドバイスですね(笑)。
クラーク:結局アドバイス通り早稲田はやめず、声楽、ピアノ、ソルフェージュなどのレッスンを受けながら大学を卒業して、その1週間後にはイタリアに飛んでいました。
毎日がアドベンチャー!?イタリアでの留学生活・音楽活動
<イタリア国立音楽院在籍時の写真/結婚式での演奏>
藤井:素晴らしい行動力! でも、イギリスではなかったんですね?
クラーク:イタリアオペラをやってみたかったんです。
ヴェローナという街に住み始めて、まずは語学学校からスタートしました。
藤井:英語は子どもの頃から話していたと思うんですけど、イタリア語は?
クラーク:大学で音楽を再開した頃からですね。第2外国語でイタリア語の授業を選択したり、九段下にあるイタリア文化会館 イタリア語学校に通って、ネイティブから教わったりしていました。
でも、現地に行ってみたら、自分のイタリア語も全然通じないし、思ったより英語も通じなくて、最初は少し苦労しましたね。
その後、語学も音楽も必死に勉強して、イタリア国立音楽院の声楽科に入学しました。
今はシステムが変わってしまったのですが、当時、声楽科は5年課程で、歌のレッスンはもちろん、ソルフェージュ、音楽史、舞台芸術、音楽理論などの授業があり、イタリア語の口頭試験も乗り越える必要があったんです。
使った事はないんですけど、イタリアで音楽の先生になれる教職員免許も取得しましたよ。
<Arena di Verona/ウィキペディアより引用>
藤井:卒業後、演奏活動もされていたんですよね?
クラーク:毎年夏に、Arena di Verona(ヴェローナ・野外劇場)で野外オペラのイベントに出演していました。
日本でも「3大テノール」で有名だったプラシド・ドミンゴなども出演するイベントです。
アイーダ、蝶々夫人、カルメン、トゥーランドット、ラ・ボエーム、ナブッコなどのステージに出演し、世界的なスター歌手の舞台づくりを間近で見る良い勉強になりましたね。
<プラシド・ドミンゴ氏との貴重なツーショット>
<Arena di Veronaの仲間たちと楽屋にて。演目は「ラ・ボエーム」>
<Arena di Veronaの仲間たちと。演目は「アイーダ」>
あとは、ヴェローナ大聖堂の聖歌隊に10年くらい在籍し、ネウマ譜で歌うグレゴリオ聖歌なども覚えました。
ローマ教皇のミサで歌ったり、Tele Pace(テレ・パーチェ)というイタリアのクリスチャン専用チャンネルの中継で歌ったりもしましたよ。
私はクリスチャンではないんですけど、イタリアの文化はキリスト教と密接に関係していて、イタリアオペラも宗教と関係が深いので、音楽に対する理解が深まったし、一緒に演奏する仲間も増えましたね。
<ヴェローナ大聖堂の聖歌隊の活動>
藤井:音楽以外の仕事もされていたんですか?
クラーク:翻訳・通訳の仕事をやっていましたね。
日本で大学が音大ではなくて人脈が広かったのと、現地在住の方で、日本語とイタリア語が話せる日本人はたくさんいたんですけど、私は英語も話せるので重宝していただいたんです。
一番大きな取引先は、毎年サントリーさんが「アぺロール」というイタリアのお酒を日本で流行らせるために研修旅行をやっていて、工場見学やプレゼンなどに同行していました。
イタリア・モデナのフェラーリ博物館にお客様をお連れした事もあります。
あとはミラノ万博のジャパンパビリオンのオープニングセレモニーの司会をやったり、各国の大臣のスピーチを英語とイタリア語で通訳したり…
<フェラーリ美術館にて>
藤井:すごい経験ですね!
日本って音楽家・ミュージシャンが音楽以外の仕事をしていると「音楽で食べれていない」とか、「セミプロ」といった見方をされるケースがまだまだあると思うんですけど、欧米ってそういう偏見がないですよね。
ちなみにその後、結婚してイギリスに移住したんでしたっけ。確か旦那さんとはイタリアで出会ったんですよね。そのままイタリアに永住しようとは思わなかったんですか?
クラーク:イタリアは大好きで楽しかったんですけど、毎日がアドベンチャーのような国で…(笑)
家庭を築くにはもう少し安定した国のほうが良いなと感じた事、当時、父方の祖母が健在でイギリスで一人暮らしだったので、近くにいたいと思った事、夫も大学はイギリスだった事などもあって、イギリスに住む事になりました。
<ロンドンで「コジ・ファン・トゥッテ」に出演>
<ロンドンのオペラ・スクールのクラスメンバーと>
コロナを機にイギリスから日本へ
<ロンドン・ロイヤルアカデミーオーケストラと共演。演目は「椿姫」>
藤井:旦那さんはどこの国の方でしたっけ?
クラーク:インド人とイタリア人のハーフで、国籍はイギリスです。
藤井:インターナショナルすぎて頭が追い付きません(笑)。確か語学も堪能なんですよね?
クラーク:英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、カタルーニャ語、ヒンディー語、ベンガル語の他、ウルドゥー語、ネパール語が喋れます。
私の通訳の仕事の時にも、質問したら何でも答えてくれるので便利ですよ(笑)。
現在は日本語を勉強中で、12月の検定試験に向けて頑張っています。
藤井:日本語は世界的にも難しい言語と言われていますけど、旦那さんなら大丈夫そうですね!
ところで、日本に帰国する事になったのはコロナがきっかけでしたっけ?
クラーク:病気がちな息子をイギリスのコロナ禍で育てるよりは、両親も近くに住んでいて医療設備もしっかりしている日本のほうが安心だと感じたんです。
ある意味、避難のような感覚で日本に帰国したんですけど、結局、そのまま家族で日本に住み続ける事にしました。
藤井:コロナ禍は良くも悪くも、それぞれの人生に大きな影響があって、ターニングポイントになりましたよね。
こうして深藤さんが帰国していなければ、僕とも出会っていないですし、陶芸教室との「ご縁」もなかったわけです(笑)。
クラーク:そうですね(笑)。
<ヨーロッパ最古と言われる教会でのミサで歌う/オックスフォードにて>
日本での充実した生き方
<日本での歌の活動>
藤井:現在はどんな生活を送っているんですか?
クラーク:今は以前からやっていた翻訳の仕事のほか、月曜から金曜までフルタイムで旅行会社の仕事をして、息子の病気のリハビリで通院したりと、忙しい毎日ですね。
でも、夫にも協力してもらって、土曜日の午後だけは「歌タイム」として自分の時間を死守しています。
先生(師匠)のレッスンを受けたり、先生の作った市川オペラ振興会主催のコンサートに出演する時もありますよ。
練習時間はなかなか取れないですが、一軒家なので、近所迷惑にならないように仕事や家事の合間に歌ったり、車の中で歌ったりしています。
藤井:フルタイムで働きながら、副業、子育て、音楽活動…すごいバイタリティーですね!
ちなみに翻訳は英語が多いですか?
クラーク:イタリア語もありますが、圧倒的に英語の需要があります。コロナ禍を経て、動画の字幕の翻訳の仕事が増えました。あとは、会社のプレゼン資料の翻訳だったり。
藤井:旅行会社は日本の会社ですか?
クラーク:イタリアの大手旅行会社の日本支社みたいな感じなんですけど、一応独立したベンチャー企業のような位置付けになっているようです。
「子育てのために通勤時間を減らしたい」とか、「子どもが病気になった時も近くにいられるように」といった融通が利く会社で、行ける時は週1回くらい都内のオフィスに出社していますが、基本的にはリモートですね。
社長もイタリア人で、社風もオープン・自由なので、働きやすい環境だと思います。
音楽活動にも理解があるので、コンサートなどがある時は休ませてもらえますし。
まさか自分が旅行会社の社員になるなんて夢にも思っていませんでしたが、いわゆるお堅い日本企業だったら入社しても続かなかったかもしれません(笑)。
藤井:仕事では何語を話しているんですか?
クラーク:イタリア語と日本語がメインで、たまに英語も混じるといった感じですね。
藤井:これまでの人生経験がちゃんと仕事に生かされている印象です。
深藤さんは他に翻訳の仕事や子育てもあるのでちょっと大変かもですけど、音楽に理解があって融通の利く会社で社員として働きつつ、演奏活動も並行するって十分可能だと思うんですよね。
クラーク:コロナ禍で日本に帰国してから、旅行会社に就職する前は「フリーランスでの翻訳の仕事+音楽」だけでした。
時間はその頃のほうがありましたけど、フリーランスって波がありますからね。
収入の不安は精神的な不安定さにもつながると思うので、フルタイムに限らず、社会保険も完備された環境で働く事で不安なく生活する事が出来、結果、音楽にも集中出来るんじゃないでしょうか。
藤井:この「音TOWN」を運営している株式会社ソナーレの代表も、以前全く同じ話をされていました。
もちろん、音楽一本、専業、フリーランスのみで食べていける方は素晴らしいんですが、不安を抱えてギリギリで活動するより、「ホワイトな企業で働きつつ、精神的に安定した状態で音楽活動も行う」という形が日本にももっとあって良いと僕も感じますね。
ソナーレグループ採用サイト
https://www.sonare-jinji.net/
音楽は人生の一生の友!
<日本での歌の活動>
藤井:最後に、今後の展望について聞かせてください。
クラーク:息子の病気もだいぶ良くなりましたし、来年小学校に入学すれば今よりは時間が取れるようになるので、少しずつ音楽活動を増やしていきたいですね。
今は市川近辺に限定されていますけど、イタリア、イギリスにいる時は、「歌+楽器」や「声楽のデュオ」など、ユニットを組んで活動していたので、仲間を増やして、そういったコンサートも開催していけたらと思っています。
あとは、イギリスにいた最後の年なんですけど、クラシックに限定せず、音楽イベントをオーガナイズ(企画・プロデュース)するノウハウが学べる大学のコースを取ろうとしていたんですよ。
海外って大人になってから大学に入り直して学ぶ人も多いので、ちゃんと託児所も完備されていたんです。
結局コロナになって受講は出来なかったんですけど、こういった学びは自主企画の公演だけでなく、他者のプロデュースにも役立つので、機会があれば受講してみたいと思っています。
日本にもこういうコースはあるんですかね?
藤井:日本の場合、まだまだ「音大は音楽(演奏技術や表現)を学ぶ場所」という位置付けのところが多くて、将来「個人“事業主”」になる、「ビジネス」をやるという意識があまりなく、卒業してから困っている方が多い印象がありますね。
実は、「この『音TOWN』が少しでもその穴埋めになれば良いな」という想いもあって制作・プロデュースさせてもらっているという背景があるんですよ。
それに、日本は「勉強は大学(22歳)まで」という感覚の方も多い気がしますが、本来は「一生勉強」ですよね。
クラーク:「音楽は人生の一生の友」と考えて、音楽以外も含めて広い視野で学び、人生を楽しめると良いですね!
<日本での歌の活動>
<コンサートのご案内>
クラーク深藤(Mifuji Kirstin Clark)日本(千葉県市川市)生まれの日英ハーフ。早稲田大学卒業。
2003年よりイタリアに留学、国立音楽院声楽科を卒業。Arena di Verona(ヴェローナ・野外劇場)に出演、イタリア各地のオペラ歌劇場にコーラスで出演。ヴェローナ大聖堂の聖歌隊メンバーに在籍。イタリア国内でのコンサートに多数出演。
2014年に渡英、Morley Opera School(ロンドン)を終了。オペラに多数出演(ヴィオレッタ役、ドラベッラ役、アメリカオペラ、イギリスオペラなど)。
英国音楽コンクール声楽部門1位。
2020年3月、帰国。市川オペラ振興会、日本演奏連盟会員。
藤井裕樹/音TOWNプロデューサー
【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/メンタル心理インストラクター®/体幹コーディネーター®』