宮澤恵美子:「シンガー x 社長秘書」音楽と癒しの生き方♪
幼少期、歌と踊りが大好きだった宮澤恵美子さん。
専門学校(ミュージカル学科)時代の挫折や、25歳でお父様を亡くされたショックや働き過ぎで心身の不調を経験しました。
歌の活動から距離を置き、ソナーレで働きながら自分に合った生き方や働き方を見付け、現在はシンガーとしても活動しています。
再開のきっかけになったのは、コロナ禍で自身のチャンネルにアップした「YouTube動画」。
不調から回復するために学んだ「周波数」を生かし、「ヒーラー」のような音楽活動をしている姿も印象的です♪
『音TOWN』(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、クラシック・ジャズ・ポップス・吹奏楽などと関わりながら個性豊かに生きる「人」「お店」「団体」「会社」や、音楽家に必要不可欠な「お金・健康」の情報をお届けしています♪
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この特集は、『音TOWN』が目指す「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)「持続性」(サステナブル)「多様性」(ダイバーシティ)を実践している音楽家さん、経営者さん、経営しているお店などをご紹介するコーナー。これからの時代に合った柔軟な生き方のモデルが見つかるかも!?
この記事を読むと役に立つ人は!?
・一般職と音楽(演奏)活動の両立を考えている方
・音楽活動の葛藤など、様々な理由で心身の不調を経験している方
・YouTubeで音楽活動を広げたい方
読んだらどんな良い事が!?
・他分野で生計を立てながら音楽活動を継続する方法が分かる
・音楽活動と一般職のバランスで心身のバランスを保つ一例を知る事ができる
・YouTube配信の可能性を知る事ができる
歌と踊りが大好きだった幼少期♪
<魔女の宅急便のキキの衣装で参加したピアノの発表会>
藤井:宮澤さんとは数年前、『音TOWN』運営会社の株式会社ソナーレさんが協賛していた「NPO法人ネクストステージ・プランニング」(現在は活動終了)で少し一緒に働かせていただきましたね。
こうしてインタビューするのは初めてなんですけど、まずは幼少期からの音楽との関わりについて聞かせていただけますか。
宮澤:ピアノを3歳から始めて、先生にプレゼントしてもらったショパンのCDをよく聴いていました。
幼稚園の頃から歌と踊りが大好きだったみたいで、自分でも覚えているのは、遠足でバスガイドさんのマイクを奪ってクラスメイトの前で歌っているような子だったんですよ。
おばあちゃんの話では、親戚が集まってご飯を食べた時に、早く食べ終えると勝手にステージを作って歌って踊り始め、聴いていない家族や親戚に対して「どこ見てるの!ちゃんとこっちを見て聴いて!」と注意していたらしいです(笑)。
藤井:宮澤さんが少し歌をやっていたのは知ってましたが、あまり目立ちたがりの印象はなく、どちらかと言うと「真面目な事務・裏方の人」というイメージだったので、なんだか意外ですね…
宮澤:小5の頃、私が少し気になっている男子に、別の男子が(私がその場にいないと思ったらしく)「宮澤の事、どう思う?」と聞いているのを偶然目撃したのですが、答えが「え〜〜!あいつ、いつも歌ってんじゃん!」だったのに驚き、それ以来、自己表現を閉ざしてしまいました。
「私っていつも歌ってるんだ!?」って、人から言われて初めて気付いたんです(笑)。
藤井:“思春期あるある”と言うか、ちょっと気になっている男子の何気ない一言が、宮澤さんを変えてしまったんですね(笑)。
ちなみに歌はどんな曲を聴いて歌っていたんですか。
宮澤:ドリカムとかZARDとか、お母さんが聴いていたテレサ・テンとかですね。
中学の音楽の授業に「ギターの弾き語り」があって、ユーミンの「春よ来い」を歌ったら先生に褒められて、ますます歌にハマっていきました。
そう言えば小学校では合唱団に入っていたんですけど、私と、もう一人歌の上手い子の2人が代表で、全校生徒の前で「勇気一つを友にして」という曲を歌った事がありましたね。
この経験も「いつかプロのステージに立ちたい!」という原動力になったのかもしれません。
藤井:やっぱり幼少期に褒められる事とか、小さな成功体験ってその後の人生に大きく影響するし、大切ですよね。
音楽に没頭した高校時代♪

<高校時代のバンド活動/左のギター・ボーカルが宮澤さん>
宮澤:高校ではまず、軽音楽部に入って、それから「ドラムが叩けるようになるよ!」と吹奏楽部から勧誘を受けて、結局、両方を掛け持ちする事になったんです。
軽音は文化祭近くになると少し活動が増える程度で、メインは吹奏楽部。
毎日朝は7時に登校して、放課後も20時頃まで練習するくらい音楽にどっぷり浸かっていたんですけど、楽しくて全然飽きませんでした。
藤井:吹奏楽コンクールには出場していましたか。
宮澤:出場はしていましたけど、全国大会で金賞を目指すような学校ではなくて、毎年県大会は入賞するくらいの成績で楽しくやっている部活でしたね。
曲も自分たちのやりたい曲を自分たちで話し合って決めるような感じでしたし。
藤井:全国に行くような部活だと、金賞を取る事だけが目的になってしまって、音楽そのものが嫌いになり、その後完全に音楽から離れてしまう学生さんも実は多い気がするんです。
楽しい学生生活で良かったですね。
宮澤:「音楽」という一つの事に没頭できた経験は大きかったと思います。
こうして社会人になると、学生時代に「音楽だけやっていても良かった時間のありがたさ」を実感しますよね。
藤井:学業がおろそかになるくらい没頭していたんですか。
宮澤:実は中学の頃は比較的優等生で、高校も私以外はみんなセンター試験を受けて大学に行くような進学校だったのに、音楽のほうにハマってしまいました(笑)。
藤井:音楽専門の学校に行きたい、歌手になりたいという進路はいつ頃から考え始めたんでしょうか。
宮澤:高3になってからなんです。
高2の頃、家族で10日間くらいカナダ旅行をした事があったんですよ。
後から知ったんですけど、お母さんは私が音楽関係に進学する事には反対で、英語を使う職に就いてほしかったみたいです。
私は4人兄弟の長女で、下3人は自由奔放な私を見て育ったからか(笑)、現実的で、お母さんは必死で私にも「現実を見なさい!」と伝えようとしていたのかもしれません。
藤井:親御さんは音楽関係ではないんでしたっけ。
宮澤:はい。お父さんは、仲間内4人で立ち上げた業者用の冷却機器を作る会社の常務取締役社長(後に代表取締役社長)で、音楽とは関係ないですね。
藤井:親御さんとしては、「子どもに好きな事をやらせてあげたい」という想いと、「将来安定して食べていけるスキルで進学してほしい」という想いの両方があったんでしょうね。
頭ごなしに「音楽の道に進んじゃダメ!」とは言わず、かと言って「英語の道に進みなさい!」でもなく、さりげなく興味を持たせようとしている(本人の意思を尊重している)姿に愛を感じます。
ミュージカルのオーディションに挑戦したけれど…
<専門学校卒業後すぐのライブ活動>
宮澤:一応センター試験の勉強をしながら一般大学進学を視野には入れていたんですが、高3の夏になって「私、やっぱり音楽がやりたい!」と両親に打ち明けて、この時期からでもまだ間に合いそうな「専門学校東京ミュージックメディアアーツ尚美」(現「尚美ミュージックカレッジ専門学校」)のミュージカル学科に行く事にしました。
歌だけでなく、演技も学べるミュージカル学科に魅力を感じたんです。
子どもの頃によくお母さんがミュージカルなどの観劇に連れて行ってくれたんですよね。
あとは、小学校の芸術鑑賞教室で「2人ミュージカル」というのを観た事があって、当然セットも小規模で凝ったものではなかったんですが、「2人でこんな表現ができるんだ!?」って感動したのもミュージカル学科を選択した理由になったかもしれません。
藤井:中学・高校時代にボイトレとか、声楽の先生にレッスンを受けた事はあったんですか。
宮澤:それが、全くなくて、自己流だったんです。
専門学校では、二期会の会員でもある前澤悦子先生という方に師事しました。
藤井:ミュージカル学科だけど、オペラの先生だったんですね。
宮澤:そうなんですよ。
私にとっては初めてのプロのレッスンだったので、クラシックの発声が学べる先生で良かったと思っています。
すごく尊敬できる先生で、今でも感謝していますね。
在学中の2年間はずっと蚊の鳴くような声でしたが、基礎の基礎から鍛えていただいたお陰で、卒業してからようやくしっかりした声が出せるようになった気がします。
藤井:卒業後はミュージカルの世界を目指さなかったんですか。
宮澤:実は在学中に、経験のために一度プロのミュージカルのオーディションを受けてみた事があるんですよ。
ところが、「こんな弱肉強食の厳しい世界ではやっていけない」「私には無理」と思ってしまったんです。
とにかく他の参加者の気迫が違っていました。
鏡の前のポジション取りですでに負けてしまっていて、「どうぞどうぞ、私は端で良いです…」状態でしたね。
小5までの私ならガツガツいけたんでしょうけど(笑)。
藤井:これは吹奏楽でも何でも同じだと思うんですけど、地元のコミュニティや部活ではトップクラスでも、上京して音大や専門学校に入ったら上には上がいて、ましてや卒業してプロを目指すとなると、さらに熾烈な争いが待っていますからね。
『丸山和明:挫折の経験を武器に!ソナーレで学んだ「感謝と貢献」の生き方♪』
参考:「挫折や理不尽さを味わった音高生活」
宮澤:まさにそんな感じでした。
専門学校の1年生の頃、先輩が、その場ですぐにハモれるスキルのあるポップスのバックコーラスを探していて、「私、できます!やります!」と二つ返事で引き受けたんですけど、実際にやってみたら全然ハモれなくて失望された事がありましたね。
今思えば「自信過剰」で「井の中の蛙」だったんだなと。
藤井:とは言え、「ミュージカルの世界には向かない」と早く気付けたのは良い事だったんじゃないでしょうか。
夢のために性格的な課題や技術面を克服してでも乗り越えるのか、自分に合った別のスタイルを目指すかは人それぞれで、どちらが正解かはその人次第だと思うので。
黒人シンガー主宰のアカペラコーラスでの学び
<20歳頃のライブの様子>
宮澤:ミュージカルのオーディションを受けなくても音楽活動を続けられる方法を模索しようと思って、他の先生の授業をたくさん聴講しましたね。
それがきっかけで、後にソナーレ元社長の丸山朋子さんと出会う事になる、黒人シンガーのクライド・ウィリアムズ先生主宰のアカペラ(ゴスペル)コーラスグループに入り、師事する事になります。
その後20年近く、グループやプライベートレッスンでお世話になりました。
『丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪』
参考:「歌が支えた幼少期・学生時代」
宮澤:グループのメンバーは、ほとんど音大卒でプロを目指している人ばかりだったので、レベルも高かったですし、耳を鍛えられましたね。
クラシック出身の人たちは発声などの基礎力は高いですけど、ゴスペルのようにステップを踏みながら歌うのは苦手だったり、和声は分かるけどコードが分からない、半音でぶつかるハーモニーが取れないといった課題がありました。
逆に私は子どもの頃からギターやドラムをやっていて、専門学校ではミュージカル(歌と踊り・演技)やポップスの音楽理論を学んでいたので、お互いの長所・短所を補い合えるという意味でも貴重な経験になったと思います。
まさに「多様性」という感じで、クライドのところには既存のメンバーとは違った感性を持った子が入ってくるんですよ。
日本的な「この歌い方が正解/こうあるべき」のような枠からは外れていて、その個性がまたグループに変化を生むような感覚があったのが印象的でした。
日本にいながらにして本場・ネイティブの歌い方や表現が学べたのは本当に有意義だったと思いますね。
あとは、本番はいわゆる自主公演だったので、音楽だけじゃなくて裏方もやらないといけなかったんですよ。
持ち回りで裏方のリーダーをやるんですけど、誰も助けてくれないと思って、本番後、周囲にその話をしたら、「一人で仕切ってやりたそうだったよ」と。
「助けてほしいと思っているのに、周囲には逆に伝わっていたんだな」という体験をしました。
藤井:日本には「以心伝心」という言葉や「空気を読む」という文化もあって、それも大切だと思うんですけど、肝心な事はきちんと言語化・意思表示をしないと伝わらない、コミュニケーションにならないというのも事実ですよね。
宮澤:衣装に関しては、クラシックだったらドレスかブラウスのような正装が何着かあれば良いかもしれませんが、毎回本番のコンセプトが違っていて、「今回はアフリカの民族衣装」「今回は娼婦のような格好」という風に、その都度衣装が変わるので、探し回って購入したり、自分で作ったりと結構大変でした。
ですが、音だけではなく「ショーとして見せる(魅せる)要素の大切さ」の学びになりましたよね。
たくさんのアルバイトを経験
<2024年12月25日クリスマスコンサートにて/@広尾Tomo,K’yon,s/左が大野充明さん・右が丸山朋子さん>
藤井:アカペラコーラスはプロではなかったんですよね。
先生にレッスン料を支払い、ギャラが発生しなくて衣装も自腹というのは結構大変だったんじゃないでしょうか。
当時、アルバイトはしていたんですか。
宮澤:専門学校生の頃に初めて働いたのは飲食店で、卒業してからは派遣で結婚式の配膳やホテルのウエイトレスをやっていました。
学生時代は仕送りがあって、その後も少し援助は受けていましたけど、家賃は自分で払うようになっていましたし。
実は私が25歳の時、お父さんがガンで亡くなったんです。
まだ高校生の妹もいたので、お母さんを助けるために、週末は実家のある長野県長野市に帰って、平日は東京という2拠点生活を1年くらい経験しました。
長野、東京の両方でいくつものアルバイトを掛け持ちしながらアカペラコーラスの活動も続けていましたね。
藤井:どんな仕事をしていたんですか。
宮澤:朋子さんがソナーレでお父さんの不動産業を手伝っていたので、退去後の浴槽クリーニングの仕事をさせてもらった事や、卒業後すぐもやっていた結婚式の配膳の仕事、TSUTAYA、ヤクルトの営業、(賄い目当てで)トンカツ屋やイタリアンレストランでも働きましたね。
藤井:比較的裕福な家庭から音大に行った方は、学生時代も卒業後も一度もアルバイトをした事がない方が結構います。
もちろん、絶対ではないですが、「社会経験(“音楽以外で”働いてお金を稼ぐ経験)」としてはやっておいたほうが良いんじゃないかと感じますね。
『丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪』
参考:「歌のために複数の仕事を掛け持ち!」
『児島瑞穂:フィンランド在住/「ユーフォニアム&トロンボーン奏者/元キャビンクルー」という生き方♪』
参考:「音楽家との両立の苦労は?」森田耕さんYouTubeインタビュー動画
(1:38:53辺りからアルバイトや他業種経験の大切さについて話しています)
心身の不調の経験から人生が変わる
<2023年12月23日クリスマススペシャルライブ@暮らしの複合施設 hibi(福井県)/右が丸山朋子さん>
宮澤:イタリアンレストランは長野だったんですけど、営業終了後の深夜にたくさん高カロリーな賄いを出してくれて、もちろんオーナーの厚意だったとは言え、今思えば身体には良くなかったかもしれません。
1年後にまた東京だけの生活に戻ってからは、逆に節約をし過ぎてあまり食べなくなってしまった事や、1年間の2拠点生活での心身の疲れがピークに達してしまった事もあって、体調を崩してしまったんです。
心療内科に行ったら「機能性低血糖」と診断されました。
藤井:お父様が亡くなられた事そのもの、長女として家族を支えないといけないというプレッシャー、2拠点生活での物理的な疲労などで限界を超えてしまったんでしょうか。
当然、音楽活動どころではないですよね。
宮澤:一番酷い時は歌える状態ではなくて、その期間はコーラスグループの裏方だけを手伝っていました。
お父さんが亡くなった事を受け入れられず、鬱のような症状もあって、ほぼ仕事もできずに公園に散歩に行くだけという時期もありましたね。
その後、少し回復してからは以前と同じような無茶な働き方はやめて、朋子さんの紹介でソナーレで働く事になったんです。
藤井:ソナーレさんではどのようなお仕事を?
宮澤:ソナーレには、音大生や音大卒のフリーランスが自身の活動と並行して音楽の仕事の合間にアルバイトができるような仕組みがあって、最初は少し体調の良い日にピンポイントで働かせていただきました。
宅建のような資格がなくてもできる、不動産賃貸の事務仕事です。
体調が戻ってきて勤務時間を増やせるようになってからは、パート社員として社会保険も付けていただいて、安定した状態で働く事ができるようになりました。
入居者様の家賃の引き落としをかけたり、滞納の督促をするといったお金に関わる仕事も任せていただけるようになり、その後、シンガーの活動と両立するためにパートを辞めて個人事業主になるんですが、今でも朋子さんの別会社の経理や秘書業務をさせていただいていますよ。
ソナーレはいわゆる中小企業で、TSUTAYAやヤクルトのような大企業のアルバイトや個人経営の飲食店のアルバイトとは違って、役員、正社員、アルバイト、お客様などが全て身近に存在しています。
私自身が担当ではない業務や年単位の経営計画にも自然と関わる事で、「社会はこうやって成り立っているんだ」と学ぶ事ができたのは良い経験になりましたね。
藤井:2018年に、僕が音楽ディレクターを務めていた「NPO法人ネクストステージ・プランニング(NSP)」でも少しの期間、マネージャーを務めてくださいました。
NSPではどんな体験をしましたか。
宮澤:当時はまだシンガーの活動ができていなかったので、裏方とは言え、生演奏の現場に立ち会える仕事ができた事が幸せでしたね。
『宮澤さんがNSPマネージャー時代に書いたレポート記事』
実際に演奏する音楽家さんたちと接する事で「私もまた歌いたい・ステージに立ちたい」と感じ、その後、自分自身の活動も再開する事ができたんです。
ソナーレを退社して個人事業主となり、朋子さんの別会社で経理や社長秘書業務をしながらまた歌い始めました。
朋子さんには「会社の印鑑や通帳、大切な個人情報やパスワードなどを安心して預けられる」と、私の誠実さ、裏表のなさを評価していただいているようです。
YouTubeをきっかけに…
<岸義和&近藤淳 昭和歌謡バンドでの演奏@六本木クラップス>
オリジナル曲も作っていたんですけど、2020年のコロナ禍で「アヴェ・マリア(カッチーニ)」と「虹の彼方に」をミックスしたオリジナルアレンジを私のYouTubeチャンネルにアップしたところ、登録者数が8万人くらいいるユーチューバーさんが「使いたい」と連絡をくださり、それがきっかけで私自身も多くの方に認知されるようになったんです。
現在、私のYouTubeチャンネルの登録者数は1400人を超えていて、この動画は26,000回以上再生していただいていますね。
これがきっかけで、2022年からはピアノやギターの伴奏で、ソロコンサートも開催できるようになり、小規模なギャラリーやレストランでオリジナルやカバーを歌っています。
藤井:一時期の心身の不調の頃から考えると、劇的にリカバリーしている印象ですね。
最近はどのような音楽活動をされているんでしょうか。
宮澤:TikTokのライブ配信にも挑戦し、100人近い方がリアルタイムで聴いてくださいました。
私のボーカルマイクと伴奏トラックのバランスがうまくいかなかったりで、まだまだ探り探りなんですが、トライアンドエラーでチャレンジしていきたいですね。
ライブではソロ活動の他に、朋子さんとのツインボーカルやコーラスで、岸義和さんという大御所トランペット奏者のユニット「岸義和&近藤淳 昭和歌謡バンド」や「岸義和ビッグバンド」でも歌わせていただくという貴重な機会をいただいています。
藤井:すごいですね!
岸さんは僕も何度か現場でご一緒させていただいた事がありますが、素晴らしいベテランプレイヤーです。
ちなみに練習はどうされているんですか。
宮澤:2021年に結婚して、都心ではなく郊外に住んでいるのと、仕事はリモートの日も多いので、昼間は自宅で歌っていますね。
オペラのようなしっかりとした発声をしたい時はカラオケボックスに行ったりもします。
ソナーレ物件のように朝から晩まで家で練習できると良いですけどね。
愛の周波数で人の心を豊かにしたい♪
<2025年5月6日「kid’s ワクワクの森」での音楽ステージの様子/左が大野充明さん・右が丸山朋子さん>
藤井:今後はどのような活動をしていきたいと考えていますか。
宮澤:1年くらい前に「Dances of Universal Peace(通称DUP)」という団体を知ったんですよ。
「国籍や宗教に関係なく、輪になって歌って踊って世界平和を祈る」というような趣旨に共感して、私もこのような音楽活動をしたいなと。
自分自身の人生経験を声に乗せて、歌で人や社会に貢献できるようになりたいと思っています。
いわゆる王道の“ミュージックビジネス”で売れたいのとは少し違うのかもしれません。
国内外で売れていて知名度のあるアーティストはたくさんいて、もちろん素晴らしいのですが、音楽は正解のない世界。
その方たちが唯一の正解ではないと思うんです。
心身のバランスを崩した時期があるだけに、今はまず、私自身が好きな事だけに没頭し、好きな人や場所に囲まれて過ごし、仕事だけでなく、休みや遊びの時間も大切にして、心が豊かでありたいと感じていますね。
藤井:世界の国の全て把握しているわけではないですが、今の日本社会は窮屈で、無理をしている方が多い気がします。
宮澤さんが感じているように、もっと「自分を大切にする」「自分を愛する」って大切な考え方じゃないないでしょうか。
自分を大切にできるからこそ、他人への思いやりや優しさに繋がるのであって、自己犠牲からの他人への奉仕や貢献は本質的ではないと僕も感じますね。
『フリーランスの音楽家さんも意識したい「QOL」とは!?/Vol.2』
宮澤:以前、藤井さんが『音TOWN』で「風の時代」について記事を書いていたじゃないですか。
私もそれに共感していて、「お金」「物質」「頑張り過ぎる」という時代から、目には見えないけど確実に存在する「情報」「価値」「自由な生き方」などが尊重される時代になっていく気がするんですよね。
心身の不調の際は確かに心療内科や薬のお世話になったんですけど、西洋医学だけでは解決しない気がして、実は「周波数」について学んだりもしました。
現代の西洋音楽は440hz〜442hz辺りですが、432Hzは人体に良い影響があるという話もあるんですよ。
人間の体は50%以上が水分で、その水分(分子)に働きかけて癒し効果や自然治癒力を高める効果があるとも言われていて、432Hzの音楽や音を(体内の)水分に聴かせる事で、その振動によって心身のリラックスや活性化に繋がるんだとか。
藤井:実は僕も、経営しているリラクゼーションの施術のBGMに432hzの音楽も使っていますよ!
都市伝説、スピリチュアル的で科学的根拠が低いとも言われますが、宇多田ヒカルさんや藤井風さんの曲が432hzにチューニングされているとか、432hzではないですが、ジョン・レノンのイマジンが「愛の周波数/ソルフェジオ周波数」と言われる528hzにチューニングされているという話もありますよね。
正直、科学的な正解はよく分からないですけど、仮にプラセボ効果であっても癒されれば価値はあると思うし、世の中まだまだ解明されていない、見えない世界というのはあるんじゃないかと感じる体験は、僕自身の人生でも何度もあります。
そもそも音楽だって目に見えない世界で、「誰かの音楽に感動した・共感した」というのは「波長・周波数が合った」と言えますしね。
宮澤:私のオリジナルやカバーには432hzでレコーディングした曲がいくつかあるので、ぜひ聴いていただきたいです!
師匠のクライドには以前、「恵美子は海外に出たほうが良い」とアドバイスをもらった事があるんですけど、当時はできませんでした。
YouTubeやTikTokの配信などをやっていれば世界と繋がれる時代なので、無理せず、心地良い環境の範囲で地道にやり続けたいと考えています。
もちろんソロでのコンサート活動も(↓ この後コンサートの告知あり♪)。
現在の活動は歌もそれ以外の仕事も順調で理想的ではありますが、やはり一人でも多くの方の心を豊かにするためにも、もっと歌の活動を増やしていきたいですね!
宮澤恵美子さん出演イベントのお知らせ♪

宮澤 恵美子(Emiko Miyazawa )長野県長野市生まれ。
幼少期から音楽に親しみ、高校では軽音楽部と吹奏楽部に在籍。
専門学校東京ミュージックメディアアーツ尚美(現尚美ミュージックカレッジ専門学校)ミュージカル学科にて前澤悦子氏に師事。
1998年、アカペラコーラス全国大会で優勝。
専門学校時代よりClyde W. Williams氏に師事し、彼の主宰するゴスペルグループ(プロミュージシャンを目指す男女最大12名が1人1パートを受け持つアカペラコーラス)を続けながら、オリジナル曲の制作、ライブ活動を開始。
人気YouTuberの動画で自身の楽曲が使用されるなど、注目を集め、2022年よりソロコンサートを開催。
愛の周波数拡大や人間のエネルギー活性化のため音楽活動を精力的に続けている。
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藤井裕樹/音TOWNプロデューサー
【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。2004年〜2005年、ネバダ州立大学ラスベガス校に留学。帰国後、ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/音楽療法カウンセラー/メンタル心理インストラクター®/安眠インストラクター/体幹コーディネーター®/ゆがみ矯正インストラクター/筋トレインストラクター』

















