特集/大野充明:「三菱UFJ銀行支店長→山野楽器取締役」異色の経営者から学ぶ♪【前編】

昨今は「不景気」「オーナーの高齢化」などもあり、ライブハウスや店舗の閉店の話がよく聞かれるようになりましたね…

ジャズミュージシャンにとっては特にお馴染みの「赤坂B-flat(ビーフラット)」は、今から約2年前、閉店の危機を迎えていました。その再建の指揮を執ったのが、当時「山野楽器」の取締役を務めていた大野充明氏。

大野氏の前職は「三菱UFJ銀行」の本部や支店長で、「山野楽器」退社後の現在は「株式会社mysig(ミューシグ)」を起業し、音楽関係店舗の事業承継や経営コンサルタントとして活動されています。

異色の経歴・濃密な人生経験から貴重なお話をたくさん伺う事が出来ました!(前編・後編に分けてお伝えします♪)

「音TOWN」(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。

この特集は、音楽業界を陰で支える企業の経営者さんや、各分野のエキスパートをご紹介するコーナー。

経営理念ノウハウ専門知識から、何かしらの“学び”“ご縁”が生まれれば幸いです!

この記事を読むと役に立つ人は!?

・フリーランスの音楽家さんで、音楽関係の経営者さんの考え方やノウハウを学びたい方
・一般のお仕事と演奏活動のワークライフバランスに興味のある方
・音楽関係店舗の経営改善や事業承継をご検討の方

読んだらどんな良い事が!?

フリーランス、個人事業主としての「経営面」の学びになる
・専門職で生計を立て、音楽(演奏)も楽しんでいる方の実例を見られる
・音楽関係店舗の経営改善や事業承継の相談が出来る

破天荒すぎる昭和の学生時代

<明治大学「Big Sounds Society Orchestra」のメンバーとして「ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」に出場した際の写真/隣はジャズサックス奏者の近藤和彦氏>

藤井:本日はよろしくお願いいたします。

今年の5月に共通の友人を通じて知り合い、お酒の席を設けていただいたんですけど、その際に伺った話も大変興味深かったです。

今日はさらに深い話を伺えそうで楽しみにしていました!

大野:よろしくお願いします。 あの時は楽しかったですね! つい飲みすぎてしまいました(笑)。

藤井:早速ですが、改めて簡単に経歴を教えていただいても良いでしょうか。

大野:実は小学校の頃は、野球のリトルリーグで4番でピッチャーだったんですよ。

甲子園を目指すような野球少年になると思っていたんですけど、ほとほと野球漬けの人生に疲れてしまって、また進学した高校の野球部が弱かったのもあって、やめてしまいました。

トランペットは父親のものなのか、なぜか家にあって、子どもの頃から吹いて遊んでいたんです。

吹奏楽部って女の子が多いじゃないですか。

「大野君、トランペット吹いて!」って言われて吹くとモテるので(笑)、だんだん音楽にハマっていきました。

藤井:中高生の男子にありがちな動機ですね。

僕は大野さんと違って運動が苦手だったんですけど、トロンボーンだとそこそこモテたのがモチベーションだった記憶があります(笑)。

大野:高校では結局、サッカー部に在籍しながら、足が速かった事や授業がサボれる事もあって試合の時だけ陸上部として県大会に出たり…

サッカー部では授業をサボってタバコを吸ったりしていたら、教頭先生に見つかって停学1週間。その後廃部になりまして…

親を呼び出されて、学校にバイクを乗り入れていたのも叱られました。

藤井:結構な問題児ですね…

大野:その後、生徒会長に立候補するんですけど、たとえば「靴下はワンポイントしかダメというような校則は非社会的。社会で許されている事が学校で認められないのは先生によるイジメだ」とか訴えたりして…

藤井:今でこそ「地毛が茶色いのに黒に染めさせられる」とか「下着の色を指定されて教員がチェックする」といった、いわゆる“ブラック校則”は人権問題になって変わりつつありますけど、40年くらい前にそれを訴えていたんですね!?

大野:ですので、僕は先生からは異端児扱いされ、交換留学生としてイギリスに追放されるんです。高校2年生の夏から高校3年生の春までイギリスの学校で過ごしました。

藤井:破天荒すぎます… なかなか音楽の話にたどり着きませんね(笑)。

大野:あ、そうでした! 日本の高校時代、実はキャバレーでトランペットを吹いて一晩に3千円くらいもらっていたんですよ。アルバイトですよね。当時はそういう仕事があったんです。

この頃からジャズやビッグバンドという音楽に魅了されていきました。

藤井:アメリカで奴隷として抑圧された黒人が自由を求めて音楽で表現したのがジャズの発祥と言われていますからね。大野さんのキャラに合っていたんでしょうか。

大野:そうかもしれませんね。

イギリスから帰国後もまたキャバレーでトランペットを吹いていたんです。

そんな生活をしているので、もちろん大学なんか進学する気もなく、そのままプロになろうと思っていたんですけど、キャバレーで演奏しているバンドマンの先輩たちから、

「オレたちみたいになっちゃダメだ! ミュージシャンなんて1万人いたら3人か4人がテレビに出たりして有名、お金持ちになるけど、ほとんどはオレたちみたいに日の目を見ない世界なんだぞ。お前はまだ若いんだから、ちゃんと大学で勉強したほうがいい」

と言われたんです。

時期は夏だったと思いますが、それから受験勉強をして、どうにか受かったのが明治大学でした。

藤井:それで受かっちゃうのが凄いです…

大野:明治大学では「Big Sounds Society Orchestra」というビッグバンドサークルに所属して、後に取締役を務める事になる山野楽器主催の「ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」に出場したり、ダンスパーティーでの演奏の仕事をしたりという生活でした。

在学中も「卒業後にプロミュージシャンになる」という夢を諦めていなくて、大学1年生の時には当時オープンして間もない頃のディズニーランドでトランペットを吹くアルバイトをしていました。

藤井:僕も20代でディズニーランドやシーでの演奏経験があるんですけど、特に今は狭き門で、アルバイトで演奏が出来る時代ではなくなっていますよね。

大野:このままトランペットを続けていくと思いつつも、就活はしていて、鹿島建設とか清水建設といった大手の建設会社の試験を受けたりしていました。

街を作る仕事がしてみたかったんですよね。

大学入学時は商学部で、その後、経営学部に転学。インナー大会で発表したゼミの論文は、のちに経営商学論文大会で優秀賞を獲得しました。

それを卒論にして就活時には学部長の推薦までいただけて…

その頃、当時の三和銀行(現在は「三菱銀行」「東京銀行」「東海銀行」と合併した「東京UFJ銀行」)に勤めている先輩がいて、「伊豆に飲み放題、食べ放題で、時々コンパニオンが来るいいところがあるから一緒に行こう」と言われて連れて行かれたのが三和銀行の保養所でした。

ここに三日三晩、拉致監禁です(笑)。

「君、建設会社から内定もらってるんだよね?今から電話して『僕、三和銀行に行きます』と言って断って」と言われて、それで三和銀行に入社しました。

藤井:僕の同期が就活をしていた頃(20数年前)は就職氷河期という時代でしたが、凄い時代ですね!?

大野さんが優秀だったからこその強引な引き抜き・スカウトなんでしょうけど…(笑)


<キャバレー演奏でのトランペットの立ち位置>

銀行員時代の経験

大野:当時はバブルの絶頂期で凄かったですよ。初任給は15万7千円でしたが、しばらくすると20万、25万、30万という感じで年々昇給するし、ボーナスもかなりの額をもらえました。

藤井:高度経済成長の頃でしょうか。僕の世代や今の若者からしたら羨ましい時代です。

大野:以前演奏していたキャバレーに客で行って、ドンペリを何本も頼んだり、めちゃめちゃな事をやっていましたね(笑)。

藤井:とは言え、きちんと仕事も出来たから出世したんですよね?(笑)。

具体的にはどんなお仕事をされていたんですか?

大野:音楽家からすると「銀行はお金を預ける場所」くらいのイメージの方も多いかもしれませんが、実際の仕事はお客様に「お金を貸す(融資をする)」のが仕事でした。

つまり、企業や自営の方に運転資金や設備資金の調達をするお手伝いですね。

たとえば藤井さんは今、「音ラク空間」というお店を運営していますが、出店準備の際にお金を借りましたよね?

藤井:はい、うちは日本政策金融公庫からお金を借りました。


参考:『音TOWN』『音ラク空間』でココロとカラダが健康な人を増やしたい♪
(会社設立のきっかけや想い、「お金について学ぶ意義」などについてお話させていただいています)

大野:もし藤井さんが銀行に「お金を貸りたいです」と僕を訪ねて来たとしても、それだけでは審査は通らないんですよね。

「何で借りたいの?」とか「どうやって返すの?」といった話になるわけですよ。

逆に「銀行がお金を貸せる人、貸したい人はどういう人なのか」を考えて、銀行内の審査が通るシナリオを書くわけです。

つまり、藤井さんがお金を借りたいと言っているから審査するのではなく、

「音楽家として実績があり、音楽業界や市場を盛り上げたいとの想いの経営者が、江戸川区の西葛西に今までにない音楽教室を作り、お客様に喜ばれようとしている。その売上はこれくらいになり、利益が相応に出る計画です」

という具合ですね。さらに、

「藤井さん、これからの時代、音楽教室だけで利益を上げていくのは大変なので、空き時間にレンタルスペースをやるとか、音楽以外の事業をコラボさせるとか、そういう事は出来ますか?」

って尋ねて、「出来ます」ってなったら、それを資料に書き加えるといった感じにすると審査は通る(融資が受けられるようになる)わけですよ。

藤井:なるほど。「顧客のニーズに合わせて(融資が)通る道筋、ストーリー」を作る役割をされていたんですね。コンサルの要素も入っている印象があります。

大野:そうですね。こんな感じでやっていたら、どんどん新規のご契約をいただいて、会社での評価も上がっていきました。お客様にも喜んでいただきましたね。

藤井:この審査の通し方って銀行ではスタンダードなんですか?

大野:そうではないと思いますね。普通は

部下:「◯◯さんがお金を借りたいって言ってます」

上司:「何でそんなにお金がいるんだ?返せる計画もないのに貸せるか!」

みたいになるんです。

藤井:確かに。僕が借りたのは銀行ではなかったですけど、先方から計画の信憑性とか実現性の質問を受けて修正を求められたりはしましたが、「こうやったら借りられるよ」というふうに導いてくれたりは無かったような…

大野:銀行側は「経済活性化のためにお金を貸したい」、お客様は「(お店をやりたい、事業を拡大したいので)お金を借りたい」。

そのウィンウィンを作るわけです。

藤井:なるほど!


<イメージ>

大切な“利他の心”を思い出す

大野:一般の支店の支店長よりも融資決定権限が大きい大規模店舗の次長になり、成績もトップクラスだったので、頭取賞を取り、天狗になっていましたね(笑)。

ですがこの頃、ある“間違い”に気づくんです。

銀行の業務目標を達成する事、それが「人のためになっている」と思っていたんですけど、実は人のためではなくて「自分のためではなかったのか?」と思うようになったんです。

藤井:「自己顕示欲や自己承認欲求を満たすため(自分の成績や出世のため)」だったみたいな事ですか?

大野:そういう事です。若い頃は(京セラの)稲盛和夫さんの「盛和塾」とか、(パナソニックの)松下幸之助さんの「松下政経塾」とかにも通っていて、そこで「多喜」「利他の心」といった事を教わっていたんです。

まずは「人に尽くす」、その結果「お仕事をいただく」。

僕の場合だったら、社長の想い、事業の強み、発展性を理解し、これから進むべき方向性に必要な事を考える(共有する)。

その結果「ご融資をする」「預金をしていただく」「手数料をいただける」となるわけです。

銀行の業務の前には必ずお客様からの「感謝」があるわけですよ。

藤井:なぜこのタイミングで稲盛さんや松下さんの教えを思い出したんですか?

大野:この頃、ある地域に風車を建設する事業に関わっていたんです。

僕はジブリの「風の谷のナウシカ」が好きなんですけど、日本はもっと風を生かして風力発電をやるべきだと思っていて、この事業に投資してほしかったんですけど、最初、町の人にはうまく伝わらず、反対運動が起きていたんです。

風車の回る音の騒音だったり、「その音は電磁波で、身体に悪いのでは?」という憶測が広がったり。実際はただの風の音ですし、騒音というレベルではないんですけどね。

「僕が“風車を売りつけようとしている”と思われたら理解されるわけがない」と考えて市長のところに行き、説明するわけです。

・この地は都市部からも離れていて、漁港はあるけど、海外からの安い魚の輸入も増えている

・高齢化、人口減少も起きているという事は、税収や予算も減る

・市を存続させていくためには収入源が必要だが、風車が増えればどれだけ電力が生まれて財源になるのか

・雇用を生んで若い人を守らなければ、誰がこの町を守るのですか?

こんな話を市民のために熱くプレゼンしたら、涙を流す住民も出てきて、反対運動は収まり、事業も無事行われたんですよ。

「大野さん、私たちのためにありがとう」と感謝していただいて、「この地に大野さんの銅像を立てますよ」とまで言っていただきました(笑)。


<イメージ>

想像を超える感動や感謝から何かを生み出す!

藤井:普通は事業を計画した会社側がやるような役割を、銀行員の大野さんがされていたという事でしょうか?

大野:そうですね。

人は自分の想像を超えたものを提供された時、初めてお金を払う気持ちになるのではないでしょうか。

藤井:以前も十分、お客様の立場に立ってウィンウィンな関係を作られていたように感じますが、よりエモーショナルというか、感情に訴えかけて人や事業を動かす大野さんにバーションアップされたんですね!

大野:銀行だけでなく、仕事をするという事は「想像を超えるサービスや感動を提供する事」だと思います。

たとえば藤井さんは今、会社やお店を経営されていますけど、僕の仕事は藤井さんの想像の上をいく事業を計画・提案する事なんです。

大野「藤井さん、1億円銀行から借りて、こんな事をやったら、今よりも多くの人がこれだけ喜んでくれて感謝されますよ!」

藤井「そんな事、僕に出来るんですか?」

大野「いや、藤井さんじゃないと出来ないんですよ!なぜなら…」と説得し、

「藤井さん!これだけ人に喜んでもらえる事を今やらないでいつやるんですか!?」といった具合です。

こうやって経営者の目標や実績から世の中に必要なものを企画・提案し、その事業に銀行が融資をして、喜ばれる人を増やして経済を回していくというような循環を作っていくんですね。

藤井:みんながみんな大野さんのような仕事が出来るわけじゃないと思うのですが、銀行ってこういう仕組みなんですね。

大野さんがいらっしゃる時に起業したり、コンサルをしていただきたかったです(笑)。

大野:部下にもこのようなやり方、マインドを伝えていく事で、「そうだ、オレたちもこうやって人の役に立つために銀行員になったんだ!」という想いが徐々に広がっていきましたね。

その結果、成果を認められ、本部のある部署の室長となり、約2年間、税理士会や商工会議所や法人会などから声をかけていただき、中小企業の社長様向けに講演する仕事が多くなりました

その後、銀行に入ったからには一度は支店長をやってみたかったので、人事にお願いし、2年半ほど支店長をやらせていただきました

最後には支店や支店長を監査する仕事(半沢直樹で有名となった裁量臨店)を2年くらい経験しまして、定年退職。その後、株式会社山野楽器に出向する事になるんです。

後編へ続く(山野楽器時代のお話・赤坂B-flat再建のお話などをお届けします!)


大野 充明(Mitsuaki Ohno)

音楽ビジネスコンサルタント/経営・事業承継/トランペット奏者

高校時代からキャバレーでトランペットを演奏。明治大学経営学部在学中に「Big Sounds Society Orchestra」に所属。卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に就職。大阪と東京の店舗を経験し、中小企業部、コーポレート情報営業部などの本部や支店長を経験し53歳で定年退職。定年退職後、株式会社山野楽器の取締役、株式会社ヤマノクリエイツの代表取締役副社長として音楽業界で活躍。日比谷音楽祭「音楽マーケット」の企画立上げ参加、高齢者向け「音楽と健康」教室の開催、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」や「金沢ジャズストリート」との連携、老舗お菓子店(創業93年)のリニューアル、赤坂「B-flat」(ライブハウス)の再生など、音楽ビジネスを中心として事業再生・開発で実績を上げた。2023年6月に株式会社山野楽器を退任後、「株式会社mysig」を起業し、音楽関係店舗の事業承継や経営コンサルタントとして現在営業中。


株式会社mysig公式サイト
https://mysig829.com/

音大生のための“働き方”のエチュード/著:藤井裕樹
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藤井裕樹

藤井裕樹/音TOWNプロデューサー

【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:メンタル心理インストラクター®/体幹コーディネーター®』