浅野涼:「医師 兼 ピアニスト」オンリーワンの生き方♪
今回は『音楽 x ◯◯』ではなく、その逆で『医療 x 音楽』のキャリアをもつ、ユニーク・オンリーワンの浅野涼先生のインタビュー。
灘中→灘高→東大という、エリート中のエリートですが、ピアノと歩んで来られた人生を通して形成された人柄がとても温厚・謙虚で、神々しさすら感じる方でした。
そんな浅野先生の魅力、人生に迫ってみたいと思います!
『音TOWN』(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。
この特集は『音楽 x ◯◯』のように、複数の職業を掛け合わせて活動をしている方(“二足のわらじ”の方)をご紹介するコーナー。
音楽(演奏)以外のスキルを組み合わせる柔軟性・知識が、多様化する現代をより「ポジティブ」「ハッピー」に過ごすヒントになれば幸いです!
この記事を読むと役に立つ人は!?
・音楽以外にも好きな事、得意な事があり、それを生かしたい方
・音楽で「社会貢献」を考えている方
・音楽家として、人として心身共に健康でありたい方
読んだ後に解消される不安は!?
・音楽以外に本業があっても、音楽を生かして「複業」「副業」をする方法を知る事が出来る
・「音楽を通して人を喜ばせる」本質に触れる事が出来る
・「心技体」のバランスの重要性を知る事が出来る
ピアノとの出会い/灘中・灘高から東大へ!
藤井:はじめまして。本日はよろしくお願いいたします!
まずは簡単に自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか。
浅野:こんにちは。浅野涼と申します。
現在、平日は「医師」として在宅診療や緩和医療に携わり、週末は「ピアニスト」として、病院、高齢者福祉施設、障がい者支援施設、子ども食堂、支援学校などでの訪問演奏会を行っています。
藤井:正に『音TOWN』のコンセプトにピッタリな「華麗なる二足のWARAJIST」ですね!
なんと名門の灘中学校、灘高等学校から東京大学医学部に進学されて医師になられているそうですが、小さい頃からピアノと学業を両立されていたんですか。
浅野:私が4歳の頃、NHKで「音楽ファンタジー・ゆめ」という、クラシック音楽をCGアニメーションと一緒に紹介する5分ほどの音楽番組があったんです。
そこで「エリーゼのために」を観て(聴いて)、クラシックに興味をもち、ピアノを習い始めました。
基本的には学業優先の生活をしながらも、ピアノの練習は継続していましたね。
中学3年生から大学3年生くらいまでは、国内のコンクールにもたくさん挑戦しました(下部プロフィール参照)。
なかなか練習時間が取れない状況でも、電車に乗っている時間を譜読みに充てるなどして、自分なりに効率良く時間を使っていたと思います。
藤井:東大受験生や東大生は、地頭が良いだけではなくて、「時間の使い方」や「勉強の仕方」などの効率が良いイメージはありますね。
ところで、ご両親はやはり医療関係?もしくは音楽関係?
浅野:実はどちらでもなくて、父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦なんです。
特別裕福な家庭でもなく、元々家にはピアノがなくて、祖父母が買ってくれました。
藤井:クラシックの世界だと、親も音楽家(音楽関係)というケースは比較的多い気がしますけど、お医者さんはそれ以上に多いイメージです。
浅野先生のケースはかなりレアですよね。
浅野:そうですね。灘高でも、周囲は医者や弁護士の家系が多かったです。
医師への道はどうやって選んだ!?
藤井:最初は音大か医大か、どちらを目指していたんですか。
浅野:先ほどもお話ししたように、両親も音楽関係ではないですし、ピアノも家にない環境だったので、音楽大学に進学するというイメージはありませんでした。
かと言って、幼い頃から明確に医師を目指していたわけでもないんですよ。
灘高は東大に進学する人が多いんですけど、数学が好きだったので、文系か理系で言えば理系。
就職を考えた時、「研究」を仕事にするのは大変そうだし、(当時、人気の就職先だった)「銀行員」も合わない気がして…
結局、東大の「理科三類」というところに進学するんですけど、いわゆる「医学部・医学科」と違って、いろいろな仕事を選択肢に入れる事が出来たんです。
そんな状況で、灘の先輩方からも「病院・医療にはさまざまな科があり、何かしら自分に合う科が見つかるのではないか」というアドバイスをもらって、高校2年生の夏頃から医師を志しました。
藤井:なるほど。
ガチガチの医者家系でもなく、医者にさせられたわけでもないからこそ、「医者 兼 ピアニスト」というユニーク・レアな浅野先生が誕生したのかもしれませんね!
浅野:実は、実家の音楽環境は厳しくて、18時までしか音が出せなかったんです。
この時間までだと、学校や塾に通っていると、ほとんど練習出来ないですよね。
京大の医学部も選択肢にあったんですが、京大だと実家から通う形になり、大学でもピアノが満足には弾けなくなってしまいます。
実家を出る事を親に納得してもらうためには、京大よりもハイレベルな東大に入れば良いという想いもありました。
藤井:それで入れるのが凄すぎます(笑)。
医師を志しながらも、本当にピアノが好きで「続けたい!」という強い信念があったんでしょうね。
浅野:灘の同級生のお母様が「東京には楽器可の賃貸物件があるよ」という話をされていたんですが、それがこの『音TOWN』を運営しているソナーレさんの事だったんですよ。
高3の夏頃から、まだ東大に受かったわけでもないのに、「どこに住もうかな」と家探しをしていました(笑)。
「東大に入って上京して、ソナーレ物件に住んで思う存分ピアノを弾くんだ!」という想いはとても良いモチベーションになりましたね!
藤井:優秀な方(成功している方)は「まずゴールを明確にして、その道筋も具体的にイメージ・行動する能力」が高い印象があります。
浅野:東大に受かっても医者になれると決まったわけではないんですけど、「上京して好きなだけピアノを弾ける環境を手に入れる」という、第一段階の夢は叶うという想いがありましたね。
実は受かる前の(2010年)2月には上京して、ソナーレ物件に入居していました(笑)。
藤井:素晴らしい行動力です!(笑)
浅野:その際に、創業者の丸山大策会長にお会いして、後に(2012年に)東京藝大講師の野村眞理先生をご紹介していただいたんです。
人生の師匠となる野村先生との出会い
藤井:音大の先生の中には「音大を目指して、その後プロ奏者になる」という、いわゆる「王道」の弟子しか取らない先生も多いなか、野村先生は、さまざまなタイプの生徒さんを受け容れてくださるキャパシティをおもちの方だったようですね。
浅野:ピアノだけでなく、「人生の師匠・メンター」のような方です。
大学卒業後の研修医時代は、2年間、静岡の病院勤務だったんですが、月2回くらいのペースで東京に来て、野村先生のレッスンを受けて、また静岡に戻って仕事をするという生活をしていました。
先生には藝大を退官された今でもお世話になっていますよ。
音楽の話だけでなく、哲学の話などもしてくださる方で、とても学びが深まるんです。
藤井:音大に進学したとしても、単に「音楽の師」ではなく、「人生の師」と仰げる方に出会えるケースは少ないような気がしますね。
僕の周りの音楽家を思い浮かべても、卒業してから何年も経って、今も師匠のところに通い続けている人はほとんどいないと思います。
一般社会でも、日本には「新卒」という習慣があって、欧米と比べても「大学を卒業した後、自分から能動的に学びに行かない人」が多いですよね(会社の研修などで受動的に学んでいる人は多いですが)。
本来は社会に出てからが「本当の人生の学びの始まり」だと思うのですが…
浅野:兄弟子、姉弟子たちは、「昔は野村先生はすごく厳しかった」とおっしゃるのですが、私にとっての野村先生は本当に優しい方で。
音大も藝大も出ていない私の弾き方を全て受け容れてくださっている懐の広さがある方ですね。
社会に必要とされているのは“名曲”
藤井:何か印象に残っているエピソードはありますか。
浅野:私が習い始めた翌年(2013年)の発表会で、先生が「今回は“名曲縛り”にしましょう」とおっしゃったんです。
「亜麻色の髪の乙女」とか「(ショパンの)幻想即興曲」といった有名曲を弾かないといけなくなって、皆さん、とても苦労されていたようでした。
藤井:いわゆる「ベタな曲」「誰でも知っている曲」って、いろんな意味で難しいですよね。
シンプルなだけに表現や個性を出すのが難しいとか、間違えるとバレやすいとか…
浅野:普段、音大生はレッスンや本番で弾かない曲だと聞いているんですよ。
先生の意図は、「名曲には名曲と言われる理由」があって、「音大でやらないような曲だって、実際の社会では必要とされている」という事を生徒たちに伝えたかったようです。
その教えに共感して、先生にはその後も積極的に「名曲」のレッスンをしていただきました。
今、皆様に向けて「訪問演奏」を行ううえでも、とても役立っています。
藤井:本来プロというのは「自分が何を弾きたいか」ではなく、「お客様が何を聴きたいか(何を弾いたら喜んでもらえるか)」というニーズが先だと思うんですよね。
もちろんこれは「自分らしさ・自分軸で生きる事の否定」とか「お客様に媚(こび)を売りましょう」という話ではないんですが。
プロとしてうまくいっていない(=お金を稼げない)音楽家さんの多くが、この部分の理解が甘い気がしています。
音大でも、難しい楽曲の技術や表現しか教えず、それ以外の「プロの音楽家として、もっと言えば人として大切な事」を教えていない、教えられない先生のほうが意外に多いのかもしれません。
野村先生のような方に出会えたのは本当に貴重ですし、浅野先生が他の音大生にはないアイデンティティ・感性・ポテンシャルをもっていたからこそ、それを見抜いて育ててくださり、今でも良いご関係が築けている気がしますね。
浅野:そうだと嬉しいですね!
「訪問医療」と「訪問演奏」という独自のスタイルへ♪
藤井:先ほど「訪問演奏」というお話が出ましたが、これが現在のメインの演奏活動になっているんですよね。
浅野:以前はホールやサロンを借りてコンサートやリサイタルを行う事がほとんどでしたが、医師になってからは、「訪問演奏」で、患者さん、ケアマネジャーさん、看護師さんなど、クラシックに馴染みのない一般の方が聴いてくださる機会が増えました。
ですので、野村先生に教わった「名曲」を取り上げる頻度が高くなりましたね。
藤井:「訪問演奏」に重きを置くようになったのには何かきっかけが?
浅野:大きくは2人の患者さんとの思い出が元になっています。
まずは、私が担当していた患者さんで、もうすぐ息をお引き取りになるという方に、自前の鍵盤ハーモニカで「見上げてごらん夜の星を」を弾いてさしあげた事があるんです。
すでに意識が朦朧とした状態でいらっしゃいましたが、手でリズムを取ってくださったり、歌詞を口ずさんでくださったりなさったんですよ。
演奏後には少し意識が戻って「良かったよ」と声をかけてくださり、その日はゼリーを少し食べる事も出来たんです。
もう一つは、以前、脳死状態の男の子を担当した事があったんですが、脳死状態になられる前はヴァイオリンがお上手で、エルガーの「愛の挨拶」がお好きだったんですね。
当時はコロナ禍で、直接演奏をお届けする事が出来ず、私が「愛の挨拶」を演奏した録音をお母様にお送りして、亡くなる10日前に病室で聴いていただく事が出来ました。
こういった経験から、なかなかホールやサロンに足を運べない方々にとっても「音楽のもつ力って大きい」と感じ、それが「訪問演奏」の機会を増やすきっかけになっていったんです。
藤井:亡くなられた患者さんご本人だけでなく、ご家族も喜ばれたんじゃないでしょうか。
坂本九さん自身が歌っている「見上げてごらん夜の星を」や、有名なヴァイオリニストが弾いた「愛の挨拶」のCDでも十分に伝わったかもしれませんが、担当のお医者さんが、自らその患者さんやご家族のためだけに演奏してくださるという「想い」「エネルギー」は計り知れない「パワー」「愛」があったと感じますね。
浅野:昨年の3月には、普段お仕事でお世話になっているケアマネジャーさんのご紹介で、「子ども食堂」でも演奏させていただきました。
ご家庭の経済状態がシビアな方々は、なかなか有料のコンサートに足を運ぶのは難しいわけですが、生の演奏を聴いていただき、少しポジティブな気持ちになっていただけたかもしれません。
その後、「子ども食堂」に限らず、東京、千葉、神奈川、栃木の「病院」「高齢者福祉施設」「障がい者支援施設」などで、30回ほど公演を行っています。
先述の脳死状態の男の子が生前通っていた、鎌倉の「特別支援学校」でも演奏させていただきました。
ピアノがない場所には自前のキーボードを持ち込んで演奏する事もありますよ。
藤井:つい最近は、2024年元旦の「能登半島地震」の被災地、石川県珠洲市にも行かれたそうですね。
※このインタビューは2024年11月29日(金)に行いました♪
浅野:お世話になっていたケアマネジャーさんが栃木県の鹿沼市に移住されて、昨年からそこでもコンサートを開催しているんですけど、今年7月の公演の際に、珠洲から避難されていた方も聴きに来てくださっていたんです。
とても感銘を受けられて、「ぜひ珠洲の被災者たちにも浅野先生の演奏を届けたい!」と動いてくださり、11月16日に、ピアノが置いてある被災を免れた書店2ヶ所を会場にして、公演を行わせていただきました。
藤井:送っていただいた動画を拝見させていただきました。
「エリーゼのために」「ラ・カンパネラ」のようなピアノの名曲だけでなく、お子さんのために「ディズニー」「ジブリ」を演奏したり、「見上げてごらん夜の星を」「川の流れのように」をお客さんに歌っていただきながら演奏したり、アットホームで温かいコンサートですね。
僕も東日本大震災の後は、岩手、宮城、福島の被災地に、コンサートや中高生の吹奏楽部のレッスンなどで何度か足を運んでいるんです。
震災直後はやはり、お金とか、(衣食住の)生活に直結した物資の支援が必要なんですけど、長期的には、日常を取り戻すためにも、こうした「音楽の力」が大きい事を実感しましたね。
「医師」と「ピアニスト」の両立が人生を深める!
藤井:ところで、練習はどうされているんでしょうか。
浅野:実は現在もソナーレの物件に住み続けているので、家で練習する事は出来ますね。
当直もあるので毎日練習するのは難しいですが、職場のある江戸川区東葛西で近くの楽器店のスタジオをお借りする事もありますよ。
藤井:なんと! うちのお店(スタジオ)は西葛西ですよ。ぜひ練習に使っていただいたり、コンサートも開催していただきたいです!
浅野:ありがとうございます。ぜひ今度遊びに行かせてください!
藤井:忙しくて大変だと思いますけど、最初のお話にもあったように、幼少期から学業とピアノを効率良く両立されているので、その点は「音楽一本」でやってきた方よりオンオフ、メリハリのコントロールが上手そうな印象があります。
浅野:東大生は「努力型」と「効率型」に分かれるかもしれませんが、私は後者ですね。
「両立」って文字通り、「両方が成り立っている」から「両立」だと思うんです。
私の場合は、「好きなピアノを弾く時間を作る事」で精神面が安定し、医師の仕事にも良い影響があると感じますね。
「演奏」は、基本的には「デメリットのない行為」じゃないでしょうか。
藤井:患者さんやそのご家族だけでなく、ご自身の癒しにもなっているのかもしれませんね。
浅野:とは言え、体力面では決して楽ではないので、本番があるからと言って、体調が悪い状態で無理して自分を追い込むと、悪い結果につながる事が多かったです。
結果、心身共に負担になってしまうので、自分の状態を見誤らないようにする事は重要と言えるかもしれません。
ちなみに野村先生は、「医者だけやっている人より、音楽もやっている人のほうが人間として魅力的」とおっしゃってくださっています。
藤井:皆さんのために生演奏をしてくださるようなお医者さんだったら、絶対親身になってもらえますよね!
浅野:集合住宅の集会場のような場所で、「コンサート兼、健康のおはなし」のような講演会をやった事もありました。
核家族化、高齢化で孤独になっている方も増えてきているので、そういう方々が集まって演奏を聴く機会はとても大切ですし、医師としてのアドバイスも出来るので、今後も取り組んでいきたい活動の一つですね。
藤井:医師の立場から『音TOWN』の読者に向けてのアドバイスはありますか。
浅野:音楽家が演奏する事も、それ以外のお仕事や生活においても、「心技体のバランスが整っている事」が肝要じゃないかと思うんです。
例えば、演奏や仕事のどこかがうまくいかなかったとして、その原因を突き詰めていくと、メンタルだったり、テクニックだったり、フィジカルだったり、何らかの問題が見つかりますよね。
その際に、もしもそれが医学で解決する問題であれば、迷わずに専門の医療機関に相談していただきたいと考えています。
藤井:(日本のクラシック)音楽の世界って、スポーツ、アスリートの世界と比べても、まだまだ「気合いと根性」の考え方が強いと思うんです。
それに、プロの音楽家であり続けるって、精神的にもタフさが求められるというか、安定ってなかなか大変ですよね。
浅野:日本は世間体の問題などで「心療内科」「精神科」に通うハードルが高いのかもしれないですけど、診断名の付く「うつ病」だけじゃなくて、軽度の精神的な不調でも、専門医にかかる事で良くなるケースもあるんですよ。
藤井:欧米は心でも体でも、「かかりつけ医」のような存在が身近だと聞いた事があります。
日本も、どの年代、職業の方でも、もう少し気軽に医療機関などに相談出来る環境があると良いかもしれないですね。
最後になりますが、今後はどのような活動をされていくご予定ですか。
浅野:「医者 兼 音楽家」という方は私以外にもいらっしゃるかもしれないですが、「訪問医療」と「訪問演奏」を両立されている方は他にいらっしゃらない気がします。
ですので、ここ数年で取り組んできた事の延長線上で、なかなか音楽を聴く機会の得られない方々に生演奏を届けられるよう、各地の施設を訪問し、コンサートを開催していきたいですね。
また、「訪問演奏」だけでなく、時にはコンサートホールやサロンでリサイタルも開催させていただきます。
2025年3月9日(日)の演奏会では、車椅子席のご用意や一部親子席のご用意など、出来る限りさまざまな方に来ていただくため、心身共に「バリアフリー」のコンサートである事を目指して準備しています。
私らしく、「音楽を専門にやっていない方でも楽しめる曲」をお送りする予定ですので、ご興味がありましたら、ぜひご来場ください!
浅野涼 (Ryo Asano)京都府京都市出身。灘中学校、灘高等学校を経て東京大学医学部医学科卒業。
長江杯国際音楽コンクール高校生の部第1位。
京都芸術祭「世界に翔く若き音楽家たち」に出演、奨励賞、聴衆賞。
大阪国際音楽コンクール一般の部入選。
KOBE国際音楽コンクール高校生の部奨励賞。
アジア国際音楽コンサート銀賞。
ショパン国際ピアノコンクール in Asia 全国大会銀賞。
京都フランス音楽アカデミーでパスカル・ロジェのマスタークラスを修了。
エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール第3位。
ウィーン国立音楽大学にてトーマス・クロイツベルガーのマスタークラスを学費全額免除で修了。
ウィーン・ラズモフスキー弦楽四重奏団、アドリアン・コックスと共演。
その他コンクール入賞多数。これまでに阪田誠康、野村眞理の各氏に師事。
JAPAN MENSA会員。
現在は医師として在宅診療や緩和医療に携わりながら、病院や高齢者福祉施設、障がい者支援施設、子ども食堂、支援学校などでの訪問演奏会を精力的に行っている。
藤井裕樹/音TOWNプロデューサー
【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。2004年〜2005年、ネバダ州立大学ラスベガス校に留学。帰国後、ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/音楽療法カウンセラー/メンタル心理インストラクター®/安眠インストラクター/体幹コーディネーター®/ゆがみ矯正インストラクター/筋トレインストラクター』