丸山和明:挫折の経験を武器に!ソナーレで学んだ「感謝と貢献」の生き方♪

音楽家・ミュージシャンになる夢を叶えられるのはわずか数パーセントとも言われていますよね。

今回ご紹介の丸山和明さんも「ピアニストになる」という目標をもって音高・音大に進学し、フランスへの留学も経験しましたが、挫折や葛藤ののち、楽器店に就職

現在は株式会社ソナーレさんの代表取締役副社長を務めています。

「挫折は失敗ではなく“経験”という考え方」

「音楽一筋だった生き方を否定せずに武器にする働き方」は、

音高生、音大生だけでなく、卒業してフリーランスになったものの、このまま演奏家を続けていく事に不安や疑問を感じている方にも参考になるお話ではないでしょうか。

歩んでいる人生が本当に「自分を生きているのか」、はたまた「大人たちにコントロールされてしまっているのか」という葛藤は、幼少期、思春期ならではでもあり、多くの方が共感出来るエピソードではないかと感じます♪

『音TOWN』(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。

→詳しくはコチラ

この特集は、『音TOWN』が目指す「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)「持続性」(サステナブル)「多様性」(ダイバーシティ)を実践している音楽家さん、経営者さん、経営しているお店などをご紹介するコーナー。

これからの時代に合った柔軟な生き方のモデルが見つかるかも!?

音大生、プロ演奏家、音楽愛好家のための楽器可能な賃貸物件を提供している株式会社ソナーレさんは、この『音TOWN』の運営会社でもあります。

この記事を読むと役に立つ人は!?

・フリーランスの音楽家さんで、転職/就職を考えている方
・音高・音大に在学中だが、将来的に就職や副業(複業)を考えている方
・好きな音楽を生かして一般企業で働いてみたい方

読んだらどんな良い事が!?

・音大卒業後の人生が音楽家・演奏家だけではないと知る事が出来る
・挫折の経験をポジティブに捉え、仕事に生かしていく方法が分かる
・現場のミュージシャンでなくても音楽に関わる仕事で充実感を得る方法が分かる

母から音楽家への夢を託された少年時代


<ピアノの先生のお宅にて/奥が丸山和明さん・手前は弟さん>

藤井:和明さんとは、以前『音TOWN』でインタビューさせていただいた、同じく株式会社ソナーレ代表取締役副社長益子佳久さんとのご縁で、ソナーレ協賛の「NPO法人ネクストステージ・プランニング」の音楽ディレクターに就任した2017年からですので、8年くらいのお付き合いになりますが、こうしてじっくりお話を聞かせていただくのは初めてですね。


益子佳久:プロのトランペッターからソナーレへ!ゼロからの再起で得た楽しい生き方♪

丸山:そうですね。本日はよろしくお願いします。

藤井:早速ですが、和明さんは、どういったきっかけでピアノを始めたんですか。

丸山:私の母には「東京の音大に進学して音楽を学びたい」という夢があったんですけど、親の反対で幼児教育の学校に進学したんです。

その関係で、母が使っていたアップライトピアノが家にありました

自分自身の夢を私に託したような形ですよね。

出身地の広島には、桐朋学園大学の「子供のための音楽教室」があって、3歳から通っていました

年に1回、昨年亡くなられた小澤征爾さんが来られる事もあって、広島でも「桐朋はプロ(ピアニスト)への登竜門」として認知されていたんです。

藤井:ある意味「英才教育」ですよね。

丸山:世間から見たらそうかもしれませんが、母の夢を託された形だったので、正直通いたくなかったんですよ。

でも、当時の私は「真面目」で「いい子」

「ノー」が言えず、母の期待を裏切りたくないので、レッスンで毎回引っ叩かれて帰って来ても、我慢して続けていました

藤井:親の叶えられなかった夢を子どもに託すとか、例えば「うちは医者の家系だから、あなたももちろん医者になるのよ」という風に、本人の意思とは関係なく親にレールを敷かれてしまうケースは少なくないですよね。

レッスンで叩かれるというのも、今だったら体罰で問題になると思いますけど、昭和の時代は当たり前だったようにも思います。

ちなみにお子さんはお一人?お父様は?

丸山:5歳下に弟がいて、同じようにチェロをやらされていましたが、彼は「ノー」が言えたので、2〜3年ですぐにやめましたね。

父は典型的な昭和の仕事人間で、平日は会社、週末は接待ゴルフという感じで、ほとんど家にはいませんでした。

キャッチボールの相手をしてくれるのも、専業主婦の母の役割でしたね。

藤井:和明さん一人がお母様の夢を背負う事になり、なおさらやめられなくなってしまったわけですね。

丸山:当時は広島カープの全盛期で、地域の小学生の男の子はみんなカープの帽子をかぶっていました。

私自身も野球が好きで、放課後は友達と野球をするんですけど、17時に「夕焼け小焼け」が流れると楽しい時間は終わり、憂鬱なピアノの時間が始まるんです。

地方で、しかも男の子がピアノを習っているのは珍しかったので、いじめにも遭いました

藤井:確かに今と違って「ピアノは女の子の習い事」というイメージが強かった気がします。

よく我慢して続けられましたね。

丸山:小学校の担任の先生がピアノを頑張っている私を評価してくださり、合唱コンクールの伴奏者に抜擢してくださった事があったんです。

あとは、小学校5,6年生の頃、NHKの教育テレビで「ピアノのおけいこ」という番組があって、オーディションに受かって生徒役で出演していた事もありました

ピアノでスポットライトを浴びて一目置かれる存在になった事で、いじめから脱却する事が出来たんですよね。


「ピアノのおけいこ」の収録の様子>

藤井:NHKの番組に出演していたら、ちょっとした「子役スター」のような感じだったんでしょうか。

いじめのきっかけもピアノだったけど、いじめから抜け出すきっかけもまたピアノだったんですね。

丸山:うまく弾けるようになってくるとそれなりに楽しかったですし、褒めてもらえるし、周囲も喜んでくれて、何より母の期待にも背いていないので、自分の意思というよりは、「敷かれたレールの上を歩かされている」感じでしたね。

今だとあり得ないかもしれませんが、中学生になると学校には半分くらいしか通わず、ひたすらピアノの練習をしたり、東京へレッスンに通ったりもしていました。

「子供のための音楽教室」に通っていたので(桐朋の系列の先生に習っていたので)、桐朋の付属高校に行ければ良かったんですけど、ご縁の出来た先生との繋がりで、結果、当時有名な先生が複数指導をされていた東京音大付属高校進学する事になります。

こうして広島を出て、東京での一人暮らしが始まりました。

挫折や理不尽さを味わった音高生活


<高校時代の一人暮らしの様子/ギターも演奏していました♪>

藤井:プロのピアニストになるための本格的な一歩を踏み出したんですね。

丸山:ところが、この上京、音高進学で大きな挫折を味わうんです。

広島ではそこそこ上手いほうで、NHKの番組にも出演したりしていたわけですけど、いざ東京に出てきて音高に入ったら、全国から上手い人が集まってきていました

中にはすでにコンクールで賞を獲っている人もいて、演奏を聴いて、明らかにレベルの違いが分かる状態でしたね。

当時は実技の順位が張り出されたので、はっきりとそれを実感させられました。

母の期待もあるので後戻り出来ず、必死に食らい付いていたんですが、ピアノの先生ともあまりうまくいかなくなってしまって

これも“時代”と言えるかもしれないですけど、先生が厳しくて、「自分はこう弾きたい(表現したい)」「この曲を演奏したい」という想いは全く通じず、私自身、迷走状態だったんですよ。

「とにかく私(先生)の言った通りに弾いてればいいのよ!」

という感じで、自分の想い・意見はことごとく潰されるんです。

「この先生に教わっていて本当に良いのかな」

「このまま音楽を続けていて良いのかな」

といった疑問と不安が湧き、自信も全くなくなってしまいました

「音大進学はやめよう」「今なら別の道もあるかも」と考えたんですけど、母だけでなく、応援してくれていた祖父母にも反対されて、結局進学する事に

今思えば、「自分の意思」が弱かったですね。

藤井:当然、学費や生活費を出してくれているのは親御さんだったり祖父母だったりするので、こうして止められてしまうと子どもの立場は弱い気もします。

ある意味「忖度」というか、子ども側も「親に申し訳ない・期待を裏切ってはいけない」となりがちですよね…

丸山:正にそんな感じでした。

1年生が終わるまでは我慢したんですが、結局、日本のこの環境でこのまま音楽を続ける事が精神的に無理になってしまったんです。

フランスへの“逃避行”音楽留学!?


<25歳くらいの広島での演奏会の様子>

丸山:その頃たまたまフランスの先生とご縁があり、退学ではなく、休学してフランスへ留学する事が出来ました

これも、お金を出してくれた両親や祖父母のおかげなんですけど。

正直なところ、純粋に「フランスで勉強したい」という想いより、「とにかく今の環境を変えたい、逃げ出したい」という想いのほうが強かったですね。

フランス語も全く話せないまま渡仏して、語学学校に通い、その後、パリの「エコールノルマル音楽院」に入学。

当時は今以上に学歴社会で、「やはり日本でも大学を卒業しておいたほうが良い」という風潮があったので、2年間通った後、一旦帰国して東京音大に復学、卒業しました。

藤井:また以前の先生に師事したんですか。

丸山:すったもんだありましたけど、代えていただきました。

一度師事した先生を代えるのもご法度の時代だったので、呼び出されて職員に怒られたりしながら、以前の先生にも、新しく師事する先生にも頭を下げてお願いをして、ようやく認められたというような感じです。

そういった状況にも疑問や違和感を感じましたよね。

藤井:ビジネス的な考え方をすると、特に私立の場合、大学はサービスを提供する側で、生徒さんは「お客様」でもあると思うんですけど、今以上に「音大・クラシック」の世界は閉鎖的、保守的で、学校や教授側の権力が強かった事が想像出来ます

丸山:新しく師事した先生も、以前ほどではなかったものの、「とにかく私の言った通りに弾いてればいいのよ」タイプ。

こんな先生が多いのにも違和感があったんですが、周囲の友人に相談をしても、

「仕方ない、そういうもの。うまくやるしかない」

という意見しか帰って来ず、「長い物には巻かれろ」の世界でした。

「やばいと分かっていても諦めている」か「やばいとも思わずにこの世界観を信じきっている」かのどちらかが多かったように思います。

ですが、卒業していく先輩たちを見ていても、先生に言われるがままの学生生活を送った結果、ピアニストとして食べていけない、社会人としても自立出来ていない人たちが本当に多くて、このままではまずいと感じました

藤井:才能や実力があって、確実に食べていけるレベルの方は先生の言う通りにしていれば成功するかもしれないですけど、それはごく一部のトップクラスの方であって、実際のところ、プロになれない方が圧倒的多数の世界ですからね。

相談出来る相手がいる事や、誰に相談するかは結構重要ではないでしょうか。

丸山:立場や状況が似ている同級生なんかは相談しやすいかもしれませんが、知識や経験が同レベルなので、何も解決しないというか、本当に有益な答えが得られる可能性は低いですよね。

また、親や先生だけでなく、近すぎない大人からの客観的なアドバイスをもらえるような環境があったほうが、特に多感な学生時代は良いかもしれません。

藤井:ちなみにフランスでの先生はどんな感じだったんでしょうか。

丸山:中には自分の考え方を押し付けてくるタイプの先生もいらっしゃいましたが、基本的にはきちんとアドバイスはしつつも私の意思を尊重してくださる先生が多くて、居心地は良かったですよ。

フランス留学で刺激を受けてモチベーションも上がっていましたし、このまま日本で違和感、葛藤を抱えたまま終わりたくない、諦めたくないという想いがあったので、再度フランスに戻り、以前通っていた「エコールノルマル音楽院」に復学しました。

そして、「箔を付ける」ために、ひたすらコンクールを受けまくっていましたね。

タイトルは忘れてしまったんですけど、

「人生は27歳で一旦区切りを付けて次に進むべき」

と書かれている本を当時読んでいて、それに習って、27歳までに結果を出せなかったら諦めようと考えていました。

実際にその通りとなり、帰国する事になります。

自分の中には「やりきった感」と、「さすがにこれ以上、お金の援助を受けてピアノだけ弾き続けるのは両親や祖父母に申し訳ないし、情けない」という想いがあって、フランスでピアノも売り、完全に足を洗う形で、東京で第二の人生を模索し始めました


「エコールノルマル音楽院」/Wikipediaより引用>

就活。そして、恩師との出会い

ソナーレの研修旅行の様子/後列中央が丸山大策会長/後列の1番右が益子佳久副社長/前列の1番左が丸山朋子前社長/前列1番右が半田成士社長/右から2番目が丸山和明さん>

藤井:つまり、(一般職への)「就活」を始めたという事ですね。

丸山:大学時代、時給の良い深夜のパチンコ屋さんで少しアルバイトをした事はあったものの、これまでほぼ「音楽・ピアノ漬け」の人生です。

当時の履歴書は手書き、郵送の時代でしたが、100社くらい応募してもほとんど相手にしてもらえませんでした

藤井:「就職氷河期」でもありましたしね。

丸山:1,2社は書類選考に通って面接に行っても、

「君はこのまま音楽を続けたほうがいいんじゃないの?」

と言われて不採用になり、「この先どうなるんだろう?」という不安な状況でしたね。

何でも良いと思って、工場、コールセンター、パチンコ屋など、いろいろなところでのアルバイトも経験しました。

そして、やっとの事で採用していただけたのが「荒井楽器店」(株式会社ヤマハミュージックストア荒井/現 エークラスミュージック株式会社)で、後に弊社を設立し、恩師となる丸山大策会長(当時は有限会社ソナーレ・音大学生倶楽部代表)と出会う事になります

ちなみに、よく勘違いされるんですが、たまたま「丸山」という苗字なだけで、ソナーレ創業の丸山大策会長、2代目の丸山朋子元社長とは血縁関係などはありません(笑)。


半田成士:ソナーレ創業者と共に歩んだ半生/音TOWNで未来を創造する♪
(参考「楽器店から不動産会社へ」)


丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪

丸山:半田の話にもありましたが、大策会長は荒井楽器店時代、全国で一番ピアノを売っているトップセールスマンでした。

でも、ソナーレで音楽家(音大生)向け賃貸の不動産事業を始めた後は「餅は餅屋」

ピアノを売る仕事を奪う事はなく、退社後も荒井楽器店と「業務提携」のような関係を続けていたんですよ。

最初は試用期間のアルバイトとして荒井楽器店に採用された私が、入居が決まった音大生のお客様などにピアノを売る営業職として、入社早々、ソナーレに出向する事になります。

この時、私は28歳。

少し遅い、社会人としてのスタートとなりました。

ソナーレで人生を肯定してもらえた経験が人生を変える!

ソナーレの研修旅行の様子/バイクの左側が丸山大策会長/バイク後方が丸山和明さん>

藤井:いくら音楽やピアノに関係があるとは言え、「演奏をする」のと「売る」のでは全然違いますよね。

営業の仕事はうまくいきましたか。

丸山:対面も電話も、社会人としての会話すらまともに出来なかったので、大変でしたね。

営業の「いろは」を一から教えてくださった大策会長には相当厳しく特訓されましたよ。

物件の案内に行って、契約も決められず、ピアノも売れずに帰って来た時なんかは、時間や人件費を無駄にした事などに対してこっぴどく叱られました

昨今ならパワハラと言われ、今の若い人は耐えられないかもしれません…

藤井:社会に出て、また高校や大学時代のような厳しい指導を受ける事になるんですね…

丸山:学生時代の先生たちは、ある意味「自身の権力誇示」のような面が強かったと感じるんですけど、大策会長は、社会経験のほとんどない私を一人前にしようと初めて本気で向き合ってくださった大人で、厳しい中にも「愛」がありました

100社以上不採用の末に雇っていただいた会社、出向先の上司ですから、感謝もあり、学生時代と違って踏ん張りながら成長する事が出来ましたね。

大策会長自身がトップセールスマンになったノウハウ、極意を余す事なく授けてくださいました

「ピアノの特長、スペック、価格の説明」といったありきたりの営業ではなく、「音高生、音大生の悩みや相談に乗り、親御さんや生徒さんと人間関係、信頼関係を作っていくスタイル」です。

藤井:半田さんも話されていた(「アフターサービス」でない)「ビフォーサービス」ですね。


半田成士:ソナーレ創業者と共に歩んだ半生/音TOWNで未来を創造する♪
(参考:「会長オリジナルの“ビフォーサービス”とは!?」)

丸山:そうですね。

大策会長になくて私にあったのは、「音高・音大生」「ピアノでの留学」などのリアルな音楽の経験、人生です。

お客様に私の体験をシェアする事で、とても喜んでいただけるようになりました

また、音高や音大の生徒さんが、学校の先生には怖くて聞けないような事も、私になら相談出来たり

「親身になって相談に乗ってくれたり、貴重なアドバイスもいただいてお世話になったから、丸山さんのところで部屋を借りて、グランドピアノを買うわ!」

という風に、少しずつ営業で成績を出せるようになっていったんです。

これまでの私の人生を「失敗」ではなく、むしろ「強み・武器」として扱ってくださったのが、大策会長が初めてでしたね。

ソナーレへの出向が終わり、一度荒井楽器店に戻ったんですけど、やはり、恩師である大策会長の下で働きたいという想いが強く、後にソナーレに転職しました

ソナーレ役員として、後進を育てる立場へ!


<「kid’s ワクワクの森」の出演者/左から大野充明さん(株式会社mysig)/丸山和明さん/丸山朋子先代社長/益子佳久副社長>

藤井:その後、大策会長が急逝され、(娘の)朋子さんが社長になり、事業承継で朋子さんが半田さんに社長を譲り、和明さんは現在、代表取締役副社長になられたんですよね。


丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪
(参考:「ソナーレ・オザキホールディングスの経営統合で未来を見据える!」)

藤井:会社の中枢を担う役員という立場になられた現在はいかがですか。

丸山:弊社は音大生や音楽愛好家向けの楽器可物件の不動産賃貸ですので、音大出身の社員も一定数入ってきます

私のように学生時代は音楽漬けで社会経験が少なく、即戦力とは言えない場合もあるのですが、私が大策会長にしていただいたように、「音楽に打ち込んできた人生を強みとして生かせる人財育成」をしていきたいと考えていますね。

「私の指示に従って言われた通りに働いていれば良い」というような指導ではなく、「個性や長所を伸ばし、自信をもって働き、お客様に喜んでもらえる社員」になってほしいです。


ソナーレグループ採用サイト
https://www.sonare-jinji.net/

丸山:昨年、東京都国分寺市にある「オザキホールディングス株式会社」と経営統合し、池袋だけでなく、国分寺に新たな拠点も出来ました

5月に開催した「kid’s ワクワクの森」のような地域に根付いた(音楽も含んだ)イベントも行っているので、アマチュアではありますが、時々ピアノを弾く機会もあり、改めて音楽の楽しさ、素晴らしさ、役割をかみ締めています


丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪
参考:「地域に音楽で貢献する「ソナーレ」の新しいかたち♪」

ソナーレ物件のオーナー様は、やはり音楽が好きで楽器可物件のオーナーになられている方が多いので、もちろんこれまでも、私が音高、音大卒という話は時折していますが、社員が実際に演奏する場がある事で、

「今度こんなイベントを企画しているので、よろしかったら聴きにいらしてくださいね!」

というようなお声がけし、距離が縮まり、コミュニケーションも取りやすくなりました

藤井:アマチュアでの演奏は、変なプレッシャーや縛りもなく、ある意味プロよりも心から楽しめる面もありますよね。

丸山:母の期待を背負ってピアノを習い、音高、音大時代も先生の言いなりのような状態だったので、今のほうが純粋にピアノを楽しめていると思います。

もちろん当時ほど上手く弾けなくはなっていますが…

実は高校時代、反抗心から真面目なクラシックと真逆にあるような音楽をやりたくて、友達とヘビーメタルバンドを組んでギターを弾いていた事もあって、ロックなども好きなんですよ。

昭和歌謡ジャズなど、クラシック以外の音楽も弾けるのが楽しいです。


<経営統合した「オザキホールディングス株式会社」の経営計画発表会にて/左側のアルトサックスは井出慎二さん

藤井:「華麗なる二足のWARAJIST、紹介します♪」のコーナーでインタビューさせていただいた「サックス奏者 兼 宅建士/賃貸管理士の井出慎二さん」のような方との共演機会があるのは、ソナーレさんならではじゃないでしょうか。


井出慎二:「サックス奏者 兼 宅建士/賃貸管理士」という生き方

顧問弁護士の尋木浩司先生がロックバンドのドラマーでもあるのは何かのご縁かもしれませんね(笑)。


Cozy Tazunoki:「弁護士 兼 ハードロックドラマー」破天荒・異端の生き方♪

「感謝」と「ご縁」で人生を豊かに♪


ソナーレ関係者の結婚披露宴にて@小田原ヒルトンホテル/左から丸山和明さん(ピアノ)、半田成士社長(アルトサックス)・益子佳久副社長(トランペット)/藤井が音楽プロデュース・トロンボーンで演奏サポートをさせていただきました>

藤井:ちなみに現在、お母様とのご関係はいかがですか。

丸山:ピアニストや指導者になる事は出来なかったんですけど、間接的に音楽やピアノに関係する仕事に就き、自立出来た事をとても喜んでくれていますよ。

今思えば、「(母の夢を叶えるために)ピアニストにならなければいけない」というのは自分自身の思い込みの部分もあったように感じていて、本当は子どもの成長や自立を一番に考えてくれていたのかと。

両親や祖父母には感謝してもしきれません

藤井:感謝というのは「人生を豊かに、幸福に導く素晴らしいツール」ですね!

丸山:おっしゃる通りですね!

伝えられる人には出来るだけ直接会って感謝を伝える事も大切だと感じます。

実は最近、音高時代の担任の先生にも直接感謝を伝える事が出来ました

当時はピアノに打ち込みすぎて、譜読みをしたまま寝落ちしてしまい、朝起きられず遅刻をするのが日常茶飯事。

ピアノの先生への不満や愚痴は本人には怖くて直接言えないので、担任の先生に八つ当たりのようにぶつけたりと、いわゆる問題児でした。

新卒から2,3年経ったくらいの若い先生だったんですが、寝坊した私を家まで起こしに来てくださったり、八つ当たりも受け止めてくださったりと、懐が深い先生だったので、いつかお礼を言いたかったんです。

青木賢一郎君という、音高からの同級生で「病院勤めとコントラバス奏者の二足のわらじ」の友人とも2,3年ほど前に再会する機会があって、昔話の中で、

「高校時代に迷惑をかけた担任の先生に感謝が言えてないんだよね…」

という話をしたところ、彼は今も先生と繋がっていて、後日食事の場を設けてくれたんですよ。

ピアニストにはなれませんでしたが、自立してソナーレの代表になっている事を、先生は自分の子どもの事のように喜んでくださいました

藤井:問題児って記憶に残りやすいですからね(笑)。

送り出す生徒の数のほうが圧倒的に多いなか、将来再会して感謝を伝えてくれる生徒は少ないと思うので、「先生冥利に尽きる」というか、先生も嬉しかったんじゃないでしょうか。

「引き寄せの法則」じゃないですけど、和明さんの「当時ご迷惑をおかけした先生に感謝を伝えたい」という想いが青木さんとの再会に繋がり、先生にもその想いが伝わったというのは素敵なエピソードですね。

丸山:ご縁のある方とは、またこうして繋がるものですね。

これからも感謝やご縁を大切にし、「ソナーレ」「オザキ」での仕事、人生を通して、一人でも多くの方に喜んでいただける貢献が出来るよう精進していきたいと考えています



丸山 和明(Kazuaki Maruyama)

1971年 広島県に生まれ、3歳からピアノを習い始める
1987年 東京音楽大学付属高校に進学
1990年 東京音楽大学ピアノ科に進学
1992年 パリ・エコールノルマル音楽院に進学
1996年 東京音楽大学を卒業
2000年 ヤマハミュージックストア荒井入社
2006年 株式会社ソナーレ入社
2019年 株式会社ソナーレ取締役に就任
2023年 株式会社ソナーレ代表取締役副社長に就任

音大生のための“働き方”のエチュード/著:藤井裕樹
created by Rinker

〜ブログの更新など、お知らせを受け取りたい方はぜひLINEの友だち追加をお願いします!〜

友だち追加

藤井裕樹

藤井裕樹/音TOWNプロデューサー

【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。2004年〜2005年、ネバダ州立大学ラスベガス校に留学。帰国後、ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/音楽療法カウンセラー/メンタル心理インストラクター®/安眠インストラクター/体幹コーディネーター®/ゆがみ矯正インストラクター/筋トレインストラクター』