丸山朋子:事業承継で「歌と共に歩む人生」を手に入れた「経営者」の生き方♪
音大生、プロ演奏家、音楽愛好家のための楽器可能な賃貸物件を提供している株式会社ソナーレさんは、この『音TOWN』の運営会社でもあります。
創業者のお父様が急死された後、社長に就任した丸山朋子さんの人生の支えには、いつも「歌」の存在がありました♪
現在は事業承継により株式会社ソナーレのトップを退き、新たな挑戦、発展を続けています。
「我慢」をやめ、「仕事」と「趣味の歌」を両立する事で得られた充実の生き方とは?
『音TOWN』(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。
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この特集は、『音TOWN』が目指す「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)「持続性」(サステナブル)「多様性」(ダイバーシティ)を実践している音楽家さん、経営者さん、経営しているお店などをご紹介するコーナー。
これからの時代に合った柔軟な生き方のモデルが見つかるかも!?
この記事を読むと役に立つ人は!?
・一般職と音楽(演奏)活動の両立を考えている方
・音楽以外の仕事をメインにしながらも、精力的に演奏活動を行いたい方
・仕事と趣味の両立で相乗効果をもたらしたい方
読んだらどんな良い事が!?
・他分野で生計を立てながら音楽活動を継続する方法が分かる
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・趣味に打ち込む事で仕事にも良い影響を与える方法を知る事が出来る
ソナーレ・オザキホールディングスの経営統合で未来を見据える!
<2025年5月6日「kid’s ワクワクの森」での音楽ステージの様子/左は大野充明さん・右が丸山朋子さん>
藤井:昨年、株式会社ソナーレ取締役社長の半田成士さんにインタビューし、創業者である朋子さんのお父様、丸山大策会長(故人)の経営理念やノウハウなどをお伺いしました。
僕はソナーレさんが設立支援や協賛をしていた「NPO法人ネクストステージプランニング」(昨年3月で活動終了)の音楽ディレクターや代表理事を務めさせていただき、約8年間ソナーレさんともお仕事でお付き合いがあるんですが(入居者だった時を含めると約12年)、ここ1年ちょっとの間でも急速に「変容」「成長」を遂げているように感じますね。
※当時藤井が住んでいたソナーレさんのお部屋(取材もしていただきました♪)
丸山:私は北海道大学法学部の出身で、将来の夢は検事だったんですけど、在学中、司法試験より前に父に宅建(宅地建物取引士)の資格を取らされ、気付いたら1999年、父と一緒に「有限会社ソナーレ・音大学生倶楽部」(現在の株式会社ソナーレ)を起業していました。
今思えば、完全に父の策略ですね(笑)。
2013年に事業承継で父が会長になり、私が社長へ就任、2018年に父の部下だった半田に社長を譲り、株式会社ソナーレの代表を退任したんです。
藤井:(朋子さんより)年上の方に社長を譲るというシチュエーションは比較的レアではないですか。
丸山:私は子どもがいないですし、そもそも一族経営や社長というポジションに興味がないんですよ。
創業時からずっと父の背中を見て二人三脚で働いてくれた半田が適任だと思いましたし、次の社長も、私より若い世代の現場の人間に担ってほしいと考えています。
現在は、グループ会社の「ソナーレエデュケーションズ株式会社」の代表取締役と、昨年10月に、株式会社ソナーレの事業承継の一環として経営統合した「オザキホールディングス株式会社」の常務取締役、「株式会社クローバー」の代表取締役を務めていますが、ここ十数年よりは「趣味として音楽に関わる時間」も取れるようになってきました。
「歌」が支えた幼少期・学生時代
<2024年12月25日クリスマスコンサートにて/@広尾Tomo,K’yon,s>
藤井:朋子さんは楽器ではなく、歌が趣味なんですよね。
どんな幼少期や学生時代を過ごしてきたんですか。
丸山:物心が付いた頃から両親が観ていた歌番組で美空ひばりさんをよく聴いていましたね。
洋楽よりも演歌や昭和歌謡、さだまさしさんや南こうせつさんのようなフォークソングが好きだったんです。
病院に祖母のお見舞いに行って、お年寄りの前でひばりさんの歌を歌ったら「よく知ってるね!」と言って喜んでもらえた事はあるんですけど、ひばりさんの曲は聴いている印象よりもはるかに難しくて、真似をしてもうまく歌えないし、ソロは恥ずかしいのもあって、住んでいた団地の児童合唱団のようなところで大勢の中に混ざって歌っていました。
藤井:習いには行かなかったんですか。
丸山:ピアノは一応、3歳から中3まで習っていました。
本当は機械いじりのようなエレクトーンに興味があったのに、やらせてもらえなかった事や、手が小さくてオクターブが届かなかった事もあって、あんまり好きにはなりませんでしたね。
中学校は必ず何か部活に入らないといけない決まりだったんですけど、勉強をしたかったので、支障がなさそうな帰宅部同然のコーラス部に入部しました。
そこには特別支援学級の男の子や不登校の女の子がいて、特に特別支援学級の子たちは何度も繰り返さないと覚えられないので、私がピアノ伴奏を録音して、それを流しながらメロディーを弾いてあげて一緒に覚えるというような練習をしていました。
不登校の子は、たまに出てきてもあまり練習をしないでうまく歌えたんですよ。
3,4人のアカペラコーラスで文化祭などのステージに出演したりと、楽しい時間でしたね。
高校はコーラス部ではなかったですが、音楽の授業で友達とグループを組んでコーラスをやる機会もありました。
藤井:朋子さんとは一緒にNPO法人も運営しましたし、現在は仕事の他に「保護司」もされているそうですけど、その頃から特別支援学級や不登校の子と関わるような「利他の精神」や「ボランティア精神」をお持ちだったんですね。
丸山:言われてみれば、そうかもしれないです。
自分で特に意識したわけではないですが、母親が養護施設で働いていたり、ガールスカウトに入れられたりなど、ボランティアは比較的身近でしたね。
藤井:なるほど。その後、大学は親元を離れて法学部で司法試験の勉強をしていたとなると、歌どころではなかったですか。
丸山:実は20歳の時に急性腎盂腎炎で夏と冬に2回、病院送りになったんですよ。
すっかり痩せこけて、どうにかして体力を戻そうと思ったんですけど、雪深い冬の北海道で走るわけにもいかないじゃないですか。
住んでいた家の前がスナックで、昼間はカラオケ教室だったんです。
1時間500円って書いてあるし、歌なら発声練習で腹筋も使いそうだし、リハビリにちょうど良い気がして、入ってみたら、ママがなかなかにユニークな人で…
開口一番、
「芸能界は変な人がいっぱいいるから、怪しいところに行っちゃダメよ! 私がちゃんとした人を紹介してあげるから!」
と言われたんですよ。
藤井:田舎の純粋な少女が「私、東京に出てプロの歌手になりたいんです!」ってお願いしたみたいな話になってますね(笑)。
丸山:それで紹介してくださったのが「内山田洋とクールファイブ」のヒット曲、「中の島ブルース」の作曲家の吉田佐(たすく)先生という方で、歌を習ったのはこの時が初めてです。
藤井:法学部で検事を目指している20代の学生のエピソードではないですね!?
なかなかその年齢でスナックには入れないですよ(笑)。
丸山:結局はそのスナックではなくて、先生のご自宅でレッスンしていただく事になり、テレサ・テンさんの「愛人」や、高橋真梨子さんの「for you」などの昭和歌謡を見ていただいていましたね。
大学を卒業してレッスンをやめる時には「歌の道に入らないで幸せになるんだよ」と言って送り出していただきました(笑)。
東京に戻った後は、「司法試験に受かったら、さだまさしさんや南こうせつさんのコンサートに行こう!」と願掛けをしていたので、数年我慢していたんです。
でも、ソナーレでフルタイムで仕事をしながら28歳まで挑戦して、結局受からずに諦める事になり、「もういいや…」と思ってさだまさしさんのコンサートのチケットを買いました。
コンサートに行ったら、
「ゴスペルのワークショップに参加して、クリスマスに亀渕友香 & The Voices of Japanのコンサートで一緒に歌おう」
というようなチラシがプログラムに挟んであったので、参加してみたんですね。
そこからまた輪が広がって、参加者が有志で作ったコーラスグループに誘われて一緒に活動したり、日本在住の外国人歌手のワークショップやレッスンも受講して、後に彼の主宰するクワイヤーにも参加する事になりました。
歌のために複数の仕事を掛け持ち!
<2023年12月23日クリスマススペシャルライブ@暮らしの複合施設 hibi(福井県)>
藤井:学生時代は法律の勉強、社会人時代は不動産の仕事がメインだったと思いますけど、なんだかんだ「歌・コーラスと共に歩んでいる人生」ですね。
丸山:「体調を崩してリハビリ」というパターンが多いんですけどね…
実はこの頃、「音楽活動をするため」と「身内の経営ではない社会を経験しておきたい」という想いで、ソナーレは一度退社しているんです。
独立のために家を購入して、住宅ローンを組んだ後に会社を辞めました。
藤井:辞めた後は何の仕事をしていたんですか。
丸山:「塾(サポート校)の講師」、「論文添削」、「大手家電量販店でのソフトウェアのデモンストレーションと販売」、「ファミレス」など、7つの業務委託やアルバイトを掛け持ちしていました。
藤井:なるほど。住宅ローンは正社員の時じゃないと組めないですもんね。
丸山:先生主宰のクワイヤーは、多い時は月1ペースで本番があったんですよ。
1社の正社員よりも、7つの仕事がそれぞれシフトの融通が利いたので、アマチュアですが、音楽活動もしながら、いろいろな社会を経験する事が出来ました。
クワイヤーのメンバーは、先生が講師を務めていた音楽専門学校の卒業生や音大出身者(プロ志望)が多くて、私はその中では異色のキャリアだったと思います。
もちろん、歌のプロを目指していたわけではありません。
みんなは耳コピでどんどん曲や振り(ゴスペルの手拍子やステップ)を覚えていくんですけど、私はそもそも専門教育を受けていないですし、フルタイムで音楽じゃない仕事をしていたので、そのペースについていけなくて、本番は全曲ではなく何曲かだけ歌わせてもらうというスタンスでしたね。
でも、音楽だけをやっているメンバーよりはタイムマネジメントや経営のスキルがあって、お金の管理も得意だったので、本番が円滑に行われるようにリハーサルの日程やタイムスケジュールを組むとか、先生や、彼が本番のために呼んできてくれるサポートミュージシャンたちへの謝礼をメンバーから集金して、きちんと封筒に入れて渡すとか、マネジャーのような役割も果たしていました。
藤井:適材適所というか、プロでもアマでも、音楽活動の運営には必ず事務的な能力をもっている人材が必要になるので、重宝されたんじゃないですか。
先生の指導で印象に残っている事は何かありますか。
丸山:先生はクワイヤーのメンバーに、「上手いアマチュアを卒業して、下手でも良いからプロになれ!」みたいな事をおっしゃっていました。
メンバーが、「家族や友達を無料でライブに招待したい」みたいなことを言うと、
「アマチュアの演奏でもお金を出して聴きに来てくれたり、厳しい意見、感想を伝えてくれるのは身内なんだから、今は有料で来てもらって、曲がりなりにもプロになったら無料で招待してあげればいいでしょ?」
とアドバイスしていましたね。
藤井:身内からもお金を取るっていうのは、「プロになる覚悟」とも言えますよね。
正直なところ、プロもピンキリですから、先生は演奏面だけじゃなくて、マネジメントやお金の事などの必要なスキル全般について「プロになれ」「そうでないなら、朋子さんのようにいろいろスキルがあるアマチュアのほうが世の中を渡っていける」と伝えたかったのではないかと感じました。
丸山:どの世界でもプロになったら一定水準以上の技術がある事、つまり「上手い」のは当たり前です。
その上で、たとえ駆け出しであっても、ステージに立つ以上、プロとして振る舞う意識や見せ方はとても重要だと伝えたかったのではないでしょうか。
ボイストレーニングで気付いた「我慢」をやめる人生♪
<岸義和&近藤淳 昭和歌謡バンドでの演奏@六本木クラップス>
丸山:1年半くらいは仕事(個人事業主としての業務委託とアルバイト)と音楽活動をそれなりに良いバランスで出来ていたんですけど、父にソナーレに呼び戻されて再度正社員になった後は大変でしたね。
突発性難聴、メニエール、脳動脈瘤、喉のポリープなど、いろいろな不調が出て、さらに2014年には父が突然亡くなり、実質、会社の全責任を追う事になったので、歌どころではなくなってしまいました。
藤井:2017年に僕がソナーレさんとお仕事で関わるようになってから、「歌の活動をしている朋子さん」はつい最近まで見かけていないんですけど、そのような事情があったんですね。
丸山:ここ数年では子宮筋腫やコロナもやりましたしね…
以前の私は良くも悪くも耐性が強過ぎて、限界を超えるまで自分を酷使していたんです。
こんな状況でも仕事にほとんど穴を開けずに責任を果たしていたんですけど、さすがにこのままではまずいと思い、ソナーレを半田に譲り、信頼出来るビジネスパートナーと、その息子さんで30代の優秀な経営者がいる「オザキホールディングス株式会社」と経営統合しました。
こうして「事業承継」でソナーレの後継者問題も解決したので、ようやくまた「歌と関わる人生」に戻る事が出来たんです。
喉のポリープの時は、「手術の結果次第では歌えなくなるかも」とお医者さんに言われたんですけど、「治してまた歌いたい!」と心から思えたので、改めて「私、歌が好きなんだな、必要なんだな」と感じましたね。
藤井:最近はまた歌を習っているんでしたっけ。
丸山:今回も札幌で昭和歌謡を習った時と同じで、(2022年にコロナに罹った後の)リハビリとしてボイストレーニングを受けようと思ったんです。
オザキエンタープライズ株式会社(オザキHDの子会社)の尾崎真澄前社長に、経営者向けの発声のトレーナーもされているジャズシンガー、西村知恵さんを紹介していただきました。
知恵さんが、
「人は、声と本音(想い)がズレていると苦しいよ(喉を痛めるよ)」
「声と本音(想い)を一致させてあげると自分の声を好きになれるよ」
とアドバイスをくださって、「以前の私は無理をしていたんだな」「自分を好きになって(認めて)あげられていなかったんだな」と気付かされました。
ソロではなく、合唱団やコーラスグループの中で歌っていたのも、「自分の声が好きじゃなかったから」だったんですね。
実は、習い始めて1年くらいはほとんど歌わなかったんです。
なぜかと言うと、私の声は「何かを我慢をしている声」で、その苦しい声を聴いてまた自分を苦しめてしまうので(不安な声を聴いて、また不安になってしまうので)、「心が整って解放されるまでは歌わなくていいよ」とおっしゃってくださり、一緒に心理学の勉強をするような、座学中心のレッスンをしていただいていました。
そのうちだんだん歌えるようになってきて、(紹介者の)尾崎真澄さんのライブで1曲歌わせていただいたり、以前、クワイヤーで一緒に歌っていた友人とコーラス(福井県の古民家カフェでイベント)をやったりと、ステージにも立てるようになりましたね。
最近では、2,3ヶ月に一回、三鷹のジャズバー「Blue moon」で、知恵さんのところで知り合った天野丘(たかし)さんというプロのギタリストにサポートしていただいて、昭和歌謡中心のライブもさせていただいていますよ。
その他にも、トランペットの岸義和さん、サックスの近藤淳さんが中心となったベテランのジャズ・スタジオミュージシャンによる昭和歌謡バンドで歌わせていただく機会もいただいています(次回は9月9日火曜日/ページ下部にチラシあり)。
藤井:『音TOWN』でご紹介させていただいた浅野涼先生が能登地震の被災地で演奏された際にも1曲飛び入りで歌っていましたよね。
先生にいただいた動画で聴かせていただきました。
藤井:やはり人って「ココロとカラダ」はつながっていて、「音楽療法」というのもあるくらいですから、「音楽、歌は心身の健康にとても良いもの」ですよね。
もちろん楽器にもその人の音色(ねいろ)が出ますけど、「歌声って自分そのもの」なので、朋子さんの場合、西村さんとのご縁で歌を通して本来の自分と向き合えるようになったのは、今後の人生においても大いにプラスになる体験だったのではと感じます!
丸山:経営者って、どんな時でも冷静でいないといけない(感情をむき出しに出来ない)面もあるじゃないですか。
つまり、それも一種の「我慢」なんですけど、
「ジャズやブルースは、怒りや悲しみをぶつけても許されるし、むしろそれが魂のこもった音楽になるから、歌で表現出来るようになる事で、音楽以外でも自分を表現出来るようになって、結果、普段の会話でも人に想いが伝わるようになるよ」
と教えていただいたのは「目からうろこ」でしたね。
経営者の2代目というのもあり、夢だった検事にもなれず、正直これまでが100%自分の歩みたい人生だったと言えるか分からないですけど(手を抜く事なく、全力で生きてきましたけど)、これから先は「我慢はやめよう」「好きな仕事をしよう」「好きな歌を歌おう」と心底思いました。
最近は犬を飼い始めたり、休みを取ってボディボードやバイクでのツーリングなど、やってみたかった事にも挑戦出来るようになりましたよ。
藤井:プロの音楽家の場合でも、100%自分のやりたい音楽、仕事だけで食べていける方ってほんの一握りだと思うんですよ。
アマチュアよりもプロのほうが「やりたい事だけやる」のは難しいと言えるかもしれませんし。
僕自身も、世間的には「良い仕事をしている」と言われている時が(テーマパークや大手楽器店講師、有名アーティストのサポートをやっていた時が)、ある意味一番自分を酷使していて、苦しくて、自分の音楽が出来ていなかった(今思えば、本来の自分ではなかった)ように感じています。
もちろん、その経験があって今があるので、必要な時期でしたし、チャンスをくださった方々には感謝しかないんですが。
そんな20代、30代を経て、今は自分の会社やお店を経営したり、こうして『音TOWN』でいろいろな人生を歩んでいる方のお話を伺って発信するお仕事もさせていただいていて、以前よりは全然我慢もストレスもないですし、学びの宝庫ですし、好きなお仕事をして、楽しく自分らしく生きられていますね。
藤井:どんなタイミングでどんな方とご縁があるかも自分次第ではありますが、「我慢をしない生き方」って本当に重要だと感じます。
気付いていないけど、実は我慢、無理をして、ココロやカラダの休息も取らずに音楽のお仕事をしている方って結構多い気がするので、「西村さんのアドバイス」や「朋子さんの気付きや変化」は、『音TOWN』の読者の音楽家さんにも「大切なシェア」になるのではないでしょうか。
地域に音楽で貢献する「ソナーレ」の新しいかたち♪
藤井:一番最近は5月6日に、ソナーレさんと経営統合した「オザキホールディングス株式会社」主催の「kid’s ワクワクの森」というイベントで歌ったそうですね。
どのような内容だったんですか。
丸山:オザキホールディングスは、現在の東京都国分寺市で江戸時代初期より約400年続く農家から創業した歴史と伝統のある会社で、現在は「アミューズメント事業」「福祉事業」「コインランドリー事業」「不動産賃貸事業」「不動産管理事業」「リユース事業」を展開しています。
ゴールデンウィークは遠出をする方も多いですが、人混みを避けて地元でゆっくりしたい方もいらっしゃいますよね。
「地元・国分寺で、普段お世話になっているお客様や地域の方々に、親子三世代で思い出を作ってほしい」
という趣旨でこのイベントを企画しました。
ステージのトリを務めたソナーレスタッフによるバンドでは、私も歌わせてもらった「君をのせて(天空の城ラピュタ)」「未来へ(Kiriro)」や、「聖者の行進」でトランペットやサックスなどの経験がある社員やスタッフが会場を練り歩いたりしました。
「kid’s ワクワクの森」には『音TOWN』でご紹介した井出慎二さん、大野充明さんも出演しました!
井出慎二:「サックス奏者 兼 宅建士/賃貸管理士」という生き方
丸山:その他、和太鼓、リトミック、マジック、キッズダンスのステージがあって、それ以外にもマラカスを作る体験コーナーなどもありましたね(子どもたちは自分で作ったマラカスで「聖者の行進」に参加♪)。
藤井:地元で子ども向けのイベントを開催すると、お父さん、お母さんだけじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃんも参加出来て、三世代で楽しめますよね。
丸山:オザキエンタープライズ株式会社の尾崎亮現社長の祖父にあたる先々代の社長が、このようなイベントで地域に貢献するのが夢の一つだったそうです。
ソナーレの特長は他の不動産会社と比べ、お客様も含めて音楽関係者(楽器経験者)が多く、コンサートの出演や運営に関わった社員・スタッフも多い事。
このたびの経営統合によってオザキホールディングスの事業に「音楽の要素」が加わり、先々代の夢の一つが実現した事は、双方にとってウィンウィン、プラスに働く形となりました。
物件は主に首都圏の音大周辺で、お客様は音大生やプロのミュージシャン、音楽愛好家ですが、事業自体はこれまで、地元・地域に根付いたサービスを行っているわけではありませんでした。
今回、プロ、アマに関係なく「音楽・生演奏の力で人を元気に、幸せにする」という体験を、地域のお客様の前で出来た事は私たちソナーレ社員・スタッフにとっても貴重な体験になりましたね。
丸山:私は自他共に認める「雨女」なんですけど(笑)、当日は悪天候の中、1300人もの来場があり、「楽しかった! 次はいつやるの?」というお声も多数いただいたので、今後も何かしらの形で継続・発展していけたらと考えています。
ちなみに私は来年で50歳。周りからは「事業承継にはまだ若い、早い」と言われました。
でも、実際やってみて、この年齢でも遅いくらいだと感じましたね。
藤井:日本は政治の世界もそうですし、某テレビ局も、昨今のいろいろな問題が出てくるまで80代の会長が権力を握り続けていました。
農業や漁業も、中小企業も、高齢化で後継者がいない、事業承継出来ないという問題が起きてきていて、その根本原因の一つは「変化の激しい今の時代に順応せず、問題を後回しにして対応が後手後手になりすぎたから」ですよね。
おっしゃる通り、皆さんが朋子さんのように40代の頃から準備をしていれば(未来を見据えて先手で動いていれば)、ここまで大きな社会問題に発展していないかもしれません。
丸山:孔子の論語に「五十にして天命を知る」(人間は、50歳頃になると、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる)という言葉がありますけど、正にその通りだなと。
この歳になってからまるっきり新しい事をゼロから始める事はないと思いますし、難しいと思いますが、これまでのさまざまな経験を生かし、『音TOWN』、ソナーレ、オザキホールディングス、クローバーを通じて社会に貢献出来ればと思っています。
丸山朋子さん出演イベントのお知らせ♪
株式会社ソナーレの創業秘話を絵本でご紹介しています♪
(ソナーレが協賛していたNSP登録アーティストによる演奏付き)
丸山 朋子(Tomoko Maruyama)1976年東京生まれ、北海道大学法学部卒業。
1998年、父の勤める楽器店の音大生事業部に宅地建物取引主任者として入社。
1999年、父親が設立した有限会社ソナーレ・音大学生倶楽部へ入社し、仲介営業、滞納督促、管理業務、経理、総務、採用など、建築営業以外の業務をほぼ経験する。一度株式会社ソナーレを退職し、飲食店や講師業などの他業界を複数経験したのち、約1年半後に株式会社ソナーレへ復帰する。
2013年、株式会社ソナーレ代表に就任。その後、ソナーレホールディングス株式会社(現ソナーレエデュケーションズ)を設立し、同社の代表取締役にも就任。
2018年、株式会社ソナーレ代表を退任。
2024年、株式会社ソナーレとオザキホールディングス株式会社の経営統合を行い、同社の常務取締役に就任。同年、高齢者居住支援の事業として株式会社クローバーを設立、代表取締役に就任。現在に至る。
趣味はバイク(大型免許保有)、ボディボード(初心者)。特技は、ノラ猫、なつきにくい犬と仲良くなる事(動物対話インストラクター・アニマルコミュニケーション士の資格保有)。


藤井裕樹/音TOWNプロデューサー
【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。2004年〜2005年、ネバダ州立大学ラスベガス校に留学。帰国後、ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/音楽療法カウンセラー/メンタル心理インストラクター®/安眠インストラクター/体幹コーディネーター®/ゆがみ矯正インストラクター/筋トレインストラクター』