益子佳久:プロのトランペッターからソナーレへ!ゼロからの再起で得た楽しい生き方♪
音大生、プロ演奏家、音楽愛好家のための楽器可能な賃貸物件を提供している株式会社ソナーレさんは、この『音TOWN』の運営会社でもあります。
今回ご紹介の益子佳久さんは、“偶然”高校の吹奏楽部でトランペットを始め、大学でビッグバンド/ジャズにハマり、“偶然”千葉県浦安市の某テーマパークのオーディションに声がかかってバンドメンバーになり、“偶然”株式会社ソナーレさんの求人募集を見て就職、約2年前に代表取締役副社長に就任されました。
一見、全く能動的ではないのですが、「好きな事」「ひとつの事」に打ち込んできたからこそ、チャンスを引き寄せているとも言える素敵な人生ではないでしょうか♪
『音TOWN』(おんたうん)は、『音楽“と”生きる街』をコンセプトに、(プロアマ問わず)音楽家がより生きやすくなるために、主に音楽以外の有益な情報をお届けしています。
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この特集は、『音TOWN』が目指す「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)「持続性」(サステナブル)「多様性」(ダイバーシティ)を実践している音楽家さん、経営者さん、経営しているお店などをご紹介するコーナー。
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人生を変えたトランペットとの出会い
<“男子校”の県立川越高等学校吹奏楽部/益子さんは上から2段目の右から2番目>
藤井:益子さんとは不思議なご縁なんですよね。
1999年に早稲田大学のビッグバンドサークル「ハイソサエティ・オーケストラ」(以下「ハイソ」)の助っ人として参加した時に1学年上にいらっしゃって、僕はほぼ「ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」に出場しただけで一夏で辞めて、そこからしばらく疎遠。
次に再会したのが数年後。僕が千葉県浦安市の某テーマパークの「海」のバンドに在籍、益子さんが「陸」のバンドに在籍していて少し時期が重なっているんですよね。
そこからまた数年疎遠になり、2013年、たまたま住み始めた楽器可物件が、この『音TOWN』の運営母体である株式会社ソナーレさんのマンションで、契約に行ったら益子さんがいらっしゃって声をかけていただきました。
僕は当時、ソナーレという不動産屋さんも知らなかったし、益子さんがトランペットのお仕事を辞めて会社員になっていた事も知らなかったんですけどね。
※当時藤井が住んでいたソナーレさんのお部屋(取材もしていただきました♪)
正直、すごく仲が良かったわけでもないんですけど(注:仲が悪かったわけではないです!)、なぜか僕の人生の重要なピリオド、ターニングポイントに益子さんが現れます(笑)。
益子:考えてみると付き合いは25年以上ですが、飛び飛びですね(笑)。
藤井:契約の時に「そのうち飲みにでも!」と話したのも社交辞令でした(笑)。
飲みに行く事もなく数年経ち、2017年に再会。
当時のソナーレ社長の丸山朋子さんを紹介していただいて、ソナーレさん協賛のNPO法人ネクストステージ・プランニングのお手伝いを昨年3月の活動休止までさせていただきました。
現在は『音TOWN』の企画・プロデュースを通じてユニークな音楽家さんや経営者さんをご紹介したり、「お金について学ぶ記事」を発信したりと、とてもやりがいのあるお仕事をさせていただいていて、この「ご縁」にはとても感謝しています!
すみません、ちょっと前置きが長くなりました。
現在、益子さんは株式会社ソナーレさんの代表取締役副社長となられているわけですが、ご縁があった時以外の事はほぼ何も知らないので(笑)、今回、いろいろとお伺い出来ればと思っています。
まず、音楽のスタートはトランペットからだったんでしょうか。
益子:そうですね。私は少し遅くて、高校からなんですよ。
もちろん義務教育で音楽の授業は受けていますけど、家族にも音楽をやっている人はいなくて、小学校ではサッカー、中学はバスケ部でした。
藤井:確かご出身は、ドラマや映画で有名になった男子シンクロナイズドスイミングの「ウォーターボーイズ」のモデル校(埼玉県立川越高等学校)でしたよね。
益子:そうそう。県立だけど、男子校だったんです。
正にそのプールの横にプレハブの建物があって、そこが吹奏楽部の部室でした。
新歓の演奏で、吹奏楽部がエルガーの「威風堂々」なんかも演奏していたんですけど、それ以外にも部員が有志でフュージョンやポップスをやっていて、それがカッコ良くて、ビビッときたというか。
「楽器をやったらモテるんじゃないか」と…(笑)
はじめは、高校に入ったら部活はほどほどにして、ちゃんと勉強をしようと思っていたんですけどね。
藤井:「男子あるある」の動機…
以前、大野充明さんも同じような話をされていました(笑)。
『大野充明:「三菱UFJ銀行支店長→山野楽器取締役」異色の経営者から学ぶ♪【前編】』
(参考:破天荒すぎる昭和の学生時代)
益子:先輩たちの話を聞くと、高校から楽器を始めた人がほとんどで、それなら自分にも出来るんじゃないかと思ったんですよ。
藤井:クラシックで、ピアノやヴァイオリンだと幼少期からの英才教育、ジャズでも管楽器奏者は中学校から吹奏楽部のようなパターンが多くて、高校からスタートっていうのは結構珍しいかもしれません。
益子:後からそういう世界だと知りましたね。
楽器の名前もほとんど知らなくて、希望のアンケートを記入する時に、隣の人が、
「第1希望トランペット・第2希望トロンボーン・第3希望サックス」
のように書いているのをカンニングして、同じように書いたら、たまたまトランペットになったんです(笑)。
藤井:トランペットやサックスを希望していたけど、人気があってトロンボーンに回されたとか、トロンボーンがやりたかったけどチューバになった話は聞きますけど、希望アンケートでカンニングをしてトランペットになった話は初めて聞きました(笑)。
『三原田賢一:「最先端医療研究」と「テューバ」の両輪で相乗効果を生み出す♪』
(参考:「チューバとの出会い」)
『寺本昌弘:熊本を拠点「システムエンジニア 兼 トロンボーン奏者」という生き方♪』
(参考:テューバ、トロンボーンに明け暮れた学生時代)
でも、そんなトランペットにハマってその後の人生があるわけですから、「ご縁(出会い)」というのはやはり面白い、深いと感じますね。
益子:一応吹奏楽コンクールに出場はしていましたが、私の在籍の頃は管楽器の技術面を教えられる専門の指導者はおらず、男子校ならではの音とビジュアルで迫力はあったものの、地区大会止まりで、さっきも話したように、自由にジャズやフュージョンをやっていました。
定期演奏会では吹奏楽とは別に、ビッグバンドステージみたいなのもありましたね。
この頃からジャズを聴くようになって、とりあえずクリフォード・ブラウンのCDを買ってみたり。
藤井:ちなみに、茅野嘉亮さんも初めて買ってもらったCDはクリフォード・ブラウンだったそうですね。
『茅野嘉亮:愛娘と、トランペットと、ウクレレと、車と、海と…神戸で見付けた自由な生き方♪』
(参考:「妻の死を経て、神戸へ」)
ビッグバンド/ジャズにのめり込んだ学生時代
<早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラでのアメリカ西海岸ツアーの様子/1番右のトランペットが益子さん>
藤井:ハイソや学生ビッグバンド(通称「学バン」)の世界は高校時代から知っていたんですか。
益子:1学年上のサックスの先輩が早稲田大学に受かってハイソに入っていたので、多分その頃知ったような気がします。
浪人中は、ハイソだったり、先日の生明恒一郎さんのインタビューにも少しお話が出ていたハイソの先輩、サックスの吉田治さんが参加されているビッグバンドのライブにも足を運んだりしていて、
「早稲田大学に入ってビッグバンドがやりたい!ハイソに入りたい!」
となっていましたね。
『生明恒一郎:ジャズミュージシャン必見!音楽専門クラウドファンディング・レーベルとは!?』
(参考:メジャーレーベル勤務からアメリカ留学、そして起業へ)
結局、早稲田大学には受からず、日本大学に入学する事になるのですが、ハイソは他大でも入れるサークルだったので「ま、いっか」と…(笑)
二浪はせず、大学生活をスタートする事になります。
藤井:高校に入学したら部活はほどほどに、ちゃんと勉強しようと思っていた人が、凄い心境の変化ですね!?
大学でも「サークルに命をかけて勉強する気なし」じゃないですか!?(笑)
益子:当時「就職氷河期」だった事や、世紀末っていうのもあって(笑)、自暴自棄になっていたと言うか、就職も含めて、将来の事を真剣に考えていなかったんですよ。
「大学時代は楽しんで、その先はまあ、何とかなるか…」みたいな感じです。
藤井:ノストラダムスの大予言、流行りましたよね…
「地球が滅亡するかもしれないから、今を楽しんでおこう」的発想…笑
益子:今思えば、予備校の費用などを出してくれた親には申し訳なかったです。
藤井:良く言えば、「それだけ熱中出来るものに出会えた」という事ですよね。
益子:結局、高校、大学を通して全然モテなかったんですけど(笑)、そのおかげで余計にトランペットに夢中になれたかもしれません。
藤井さんと一緒に出場した「第30回ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」は、ハイソが最優秀賞を3年連続で獲得した年で、メンバーの多くは今もプロで活躍していますよね。
そんなメンバーたちとストイックに切磋琢磨出来たのは良い経験です。
藤井:山野のコンテスト以外に印象に残っているイベントはありますか。
益子:ハイソは学生バンドながら、「営業の仕事」を結構な数、やっていましたよね。
先輩の紹介で「K-1グランプリ」の打ち上げ会場で演奏した事もありましたよ。
「大勢の前で演奏をしてお金をいただく」経験が大学時代に出来たんです。
藤井:あくまでサークルの運営資金で、個人のギャラにはならなかったですけど、「報酬を受け取って演奏をする」という行為はプロそのものですよね。
音大と違って、早稲田や慶應のような歴史のある一般大は卒業生がいろんな分野に進んで活躍しているので、入ってくる演奏の仕事も多種多様だったんじゃないでしょうか。
益子:「プロのビッグバンドは予算の関係で呼べないから、少し安めの上手い学生バンドを呼ぼう(母校に声をかけよう)」という棲み分け、需要がありましたよね。
あとは、私が1年生で参加した「第28回ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」での最優秀賞受賞がハイソとしては久々で、ご褒美的なアメリカ西海岸ツアーに連れて行ってもらえたのが印象に残っています。
私にとっては初の海外で、アイダホ州で開催されたジャズフェスや、サンフランシスコでの演奏、ロサンゼルスでビル・ワトラス氏とのレコーディングなど、刺激的な体験でした。
藤井:ビル・ワトラス氏はレジェンド・ジャズトロンボーン奏者ですね!
当時クラシックや吹奏楽しかやっていなかった高校時代、来日公演で初めて生でジャズトロンボーンを聴いて衝撃を受けたプレイヤーです。
実は2017年にロサンゼルス近郊で開催された「International Trombone Festival」でお会いして名刺までいただいたんですけど、残念ながら翌年に亡くなられました。
<早稲田大学「ハイソサエティ・オーケストラ」でのアメリカ西海岸ツアーの様子/ビル・ワトラス氏と/益子さんは最後列の右から2番目>
テーマパークキャストのアルバイトからバンドへ!
<留学の下見も兼ねて訪れたアメリカ/写真はニューヨーク>
藤井:大学卒業後、テーマパークのバンドに入団されるまではどう過ごされていたんでしょうか。
益子:さっきも話したように、世紀末で「世捨て人」のようになっていて(笑)。
一応2,3社はエントリーしましたが、就職氷河期にこんなユルい就活で内定をいただけるわけないですよね。
藤井:先日インタビューさせていただいたソナーレの丸山和明副社長は、100社以上履歴書を送ったとおっしゃっていました…
益子:どうせ就職出来ないので、
「好きな音楽(トランペット)をやっていこう!」
と考えていましたね。
ポジティブなモチベーションとしては、実は学生時代、バークリー音楽大学(アメリカ/ボストン)に留学しているハイソの先輩がいらっしゃって、一度見学に行った事があるんですよ。
その時、ニューヨークの有名なライブハウス「ヴィレッジ・ヴァンガード」なども訪れて刺激を受けた事で、「ジャズトランペッターになりたい」という想いが強くなっていました。
ハイソや他大の学バンの同世代は、藤井さん以外にもすでにプロになっている人が多かったですが、私はもう少し修行が必要だなと。
ちょうどその頃、バークリー音楽大学の奨学金オーディションが日本でも開催されていたので、試しに受けてみたんです。
そうしたら、8,000か9,000ドルくらいの奨学金を出してもらえる事になったので、「よし、留学しよう!」と考えました。
とは言え、これは学費の全額ではないですし、生活費も別に必要なので、アルバイトでお金を貯めてから渡米しようと思って始めたのがテーマパークキャスト(夜のパレード関係)のお仕事なんです。
藤井:何でキャストをやろうと思ったんですか。
益子:昼間は練習に充てたくて、夜だけのアルバイトを探していたんですけど、比較的時給が良かったんですよ。
藤井:当時の最低賃金は今よりだいぶ安かったですし、時給の良いバイトはコンビニの深夜のような徹夜系か、肉体労働だったような。
そういうバイトだと、たとえ稼げても、練習や体調管理に支障が出ますからね。
益子:現在、弊社では「音楽活動に支障が出ない(アルバイトの)働き方」のシステムがありますが、当時はまだまだ少なかったように思います。
ソナーレグループ採用サイト
https://www.sonare-jinji.net/
藤井:実家は埼玉県ですよね。
住まいや練習はどこを拠点にしていたんですか。
益子:アルバイトで通いやすい浦安近辺に住んで、家でサイレントブラスで練習したり、外で練習していましたよ。
あまり良い練習環境ではなかったです。
藤井:当時はともかく、昨今は騒音にもナーバスで、猛暑がどんどん酷くなってきているので、特にプロを目指している方は、整った練習環境はより大切かもしれませんね。
益子:2年ほど働いていたんですが、その時たまたまバンドに空きが出て、
「キャストのアルバイトにハイソ出身、バークリー音楽大学に留学しようとしているトランペットプレイヤーがいる」
という話が伝わって、オーディションを受けさせていただき、バンドメンバーになる事が出来たんですよ。
藤井:キャストのアルバイトをしていた事が功を奏したわけですね。
テーマパークのバンドで「プロ意識」を学ぶ
<早稲田大学「ハイソサエティ・オーケストラ」のアメリカ・西海岸ツアーではLAのディズニーランドでも演奏♪>
藤井:バンドではどんな経験をされましたか。
益子:藤井さんもご存知のように、テーマパークでの演奏は暑い日も寒い日も野外で、1日に数回、週に5〜6日のステージを休みなく続けないといけないお仕事じゃないですか。
一定レベル以上のコンディションを維持し続ける事の重要性、難しさを学ばせていただきましたよね。
藤井:同じ話は森田耕さんもされていましたね。
『森田耕:「トロンボーン奏者 兼 草津温泉のカフェオーナー」という生き方【前編】』
(参考:テーマパークの仕事で学んだ大切な事とは!?)
益子:実は入団して3ヶ月くらいで、絶不調を経験しているんですよ。
正直なところ、一定レベルがあったとも言えないかもしれません。
私は高校、大学時代、卒業後も先生に習った事がなく、いわゆるアカデミックな練習もしてこなかったので、あの過酷な環境で、今までの我流のツケが一気に回ってきた感じでしたね。
まさに「井の中の蛙」でした。
何年もテーマパークのステージに立ち続けている先輩方の中には、音大出身の方、音大ではないけど、彼らなりのコンディション維持のノウハウをもった方が多くいらっしゃって、その方々のおかげで不調を乗り越えて、何とか3年在籍する事が出来たんです。
あの環境で効率良く遠くまで響かせて楽器を鳴らし、しかも調子を崩さない先輩方を今でも尊敬していますよ。
藤井:我々が在籍していた頃の同僚で、50代になった今でも続けている方、結構いらっしゃいますからね。
益子:ハイソでも「営業の仕事」を経験したと先ほど話しましたが、やはりテーマパークはプロの世界。
決してナメていた、いい加減に音楽と向き合ってきたわけではないんですけど、「どんな状況下でも一定水準以上の仕事をしてお金をいただく」という「プロ意識」を初めて経験出来たと感じています。
藤井:多くの一流企業さんがテーマパークのノウハウを研修に取り入れたり、学生時代のキャストの経験が就活でのアドバンテージになったりするのは納得出来ますよね。
益子:私はジャズが好きでそればっかりやっていたわけですが、テーマパークの場合、クラシックやマーチ、さまざまなスタイルのディズニー(映画)音楽など、オールジャンルの曲を演奏するので、奏法だけでなく、音楽そのものの学びにもなりました。
藤井:学生の時は「好きな曲・ジャンルだけ」やっていても良いかもしれませんが、プロというのはそれではお仕事にはならない(報酬をいただけない)わけで、ある意味「自分のやりたい音楽」ではなく「求められている音楽」をお客様に届けるのが使命、役割ですからね。
益子:それに私は、どちらかと言うと人前で話すのが苦手で、内向き思考だったんですよ。
藤井:そうでしたね(笑)。
益子:テーマパークでの演奏は「エンターテインメント」であり、「ショー」でもあるので、コアなジャズと比べても文字通り「キャスト(演者)」じゃないですか。
MCもあるし、ゲストとトークする事もあるし。
トランペットが絶不調の頃なんかは特に、自分のメンタルも落ちていたわけですけど、どんな時でも笑顔でステージに立ち、ゲストと一緒に写真撮影をしたりという経験は、会社員になった現在でも本当に役立っています。
音楽留学・プロの道を諦め、ソナーレへ
<テーマパーク時代の同僚のサックス奏者、高木慎二さんとのライブ@高木さん経営のお店にて>
藤井:結局、バークリー音楽大学への留学はどうなったんですか。
益子:奨学金の受給には期限もありましたし、正直、崩れた調子を完全に戻す事も出来ず、テーマパークでプロの音楽家としてやっていく事の厳しさも身に染みたので、退団をきっかけに足を洗い、就職する事にしたんですよ。
30歳までに音楽家としてやっていくメドが立たなかったら辞めようと思っていたのが、実際には2年早い28歳の時でしたね。
藤井:決断が遅ければその分、就職も難しくなりますからね。
益子:「自分は音楽以外に何が出来るんだろう?」と考えてみたら、得意な事は「車の運転」くらいだったので、求人誌で教習所の教官とか、バスの運転手の募集を見ていたんですけど、たまたま
「楽器を演奏する人たちにお部屋を紹介する仕事です」
というような文言の募集を見つけて、それが弊社の正社員募集だったんですよ。
一応これまで打ち込んできた音楽に関係する仕事でもありますし、それまでに8回くらい引っ越し経験があって、賃貸物件の不動産屋というのはイメージが湧く仕事だったので、これなら出来そうだなと。
エントリーしてみたところ、事業拡大のために社員を増やそうとしていたタイミングだった事や、テーマパークでの経験なども買われ、運良く「即採用」していただけました。
バンドを退団する最後の1ヶ月(3月)は、テーマパークに週5,6日、休みの日は試用期間のアルバイトとしてソナーレに通うという生活をして、4月から正社員として稼働する事になります。
藤井:井出慎二さんも取得されている「宅建(宅地建物取引士)」の国家資格もお持ちなんですよね。
益子:入社4年目くらいで合格しましたね。
※宅建の合格点は年によって違い、50点満点で35点前後、約70%以上の正答率が目安。合格率は約15~18%程度で、比較的難易度の高い国家資格と言えます
『井出慎二:「サックス奏者 兼 宅建士/賃貸管理士」という生き方』
(参考:コロナ禍で挑戦した国家資格「宅建」)
藤井:その後、創業者の丸山大策会長時代、2代目の朋子社長の時代を経て今に至ると思うんですが、こうして約20年同じ会社で働き続けられたのはなぜだと思いますか。
益子:昨日たまたま、MLBに殿堂入りしたイチローさんが会見で、
「メジャーリーグでさまざまな困難の中、継続して結果を出し続けられたのは、高校野球時代の厳しい経験があったから」
というような話をされていたんですけど、私にとっては「大学時代のハイソ」や「テーマパークでのお仕事」がそれに近くて、ストイックな20代の経験があったからこそ、
「職場でどんなに辛い事があっても投げ出さない」
という想いがありました。
音楽家であってもサラリーマンであっても、スタンスこそ違いますが、お客様にサービスを提供する事には変わりないわけで、働きながら学び、成長出来るというのは「喜び・楽しみ」でもありますよね。
音楽以外自信がない・社会人経験ゼロでも活躍出来る職場環境を!
藤井:役員(代表取締役副社長)になる自分自身をイメージしていましたか。
益子:ないですね(笑)。
出世欲があったわけでもないので…
楽器の上達も似ているかもしれないですけど、今やるべき事、目の前にある課題をコツコツとクリアしていった結果、たまたま今のポジションになった気がします。
入社当時は自分の事しか考える余裕がなくて、まずは自分自身の成長だったわけですが、だんだん意識が「個からチーム」へと変わっていきましたよね。
大きな会社ではないですけど、会社全体を考えてマネジメントしていく責任を感じています。
藤井:当然、人事・採用も担当されていると思うんですけど、今後はどんな社員に入ってきてほしいですか。
益子:昨今、中小企業はどこも人手不足で人の取り合いになっていますよね。
高学歴、高スペックの人は大企業に行ってしまうのも現実です。
とは言え、世の中は大企業や優秀な人だけで回っているわけではありません。
藤井:そもそも日本の企業の99%は中小企業ですしね。
益子:私自身も正社員としての社会人経験は28歳から。
ソナーレが初めてで、それまでは演奏家だったわけです。
音大、一般大を卒業してもプロの音楽家になれる人はほんの一握り、プロになれたとしても、一生音楽だけで食べていける人はさらに少ないと思いますが、一定期間、本気で音楽に打ち込んできた経験は無駄ではないし、むしろ強みとして生かせる可能性が高いと思うんですよ。
今はまだ「音楽以外は自信がない」という人でも、安心してエントリーしてきてほしいですね。
藤井:ソナーレさんの場合は特に、お客様(ターゲット)が音高生、音大生、プロの音楽家、音楽愛好家(アマチュアミュージシャン)ですからね。
益子:やや極論かもしれませんが、
・能力100点/考え方(意識)0点
・能力0点/考え方(意識)100点
という人がいたとしたら、弊社で採用したいのは後者のほうなんです。
たとえ不動産経験や社会人経験がゼロだったとしても、向上心があり、新たな挑戦を楽しみながら前向きに捉えられる人は、少しずつであっても働きながら成長出来るんじゃないでしょうか。
もちろん、新たな挑戦には「覚悟」や「意志の強さ」はある程度必要ですけどね。
ソナーレグループ採用サイト
https://www.sonare-jinji.net/
多種多様なニーズに応えるソナーレへ!
<2025年5月6日「オザキホールディングス株式会社」主催のイベント「kid’s ワクワクの森」にて>
藤井:昨年、東京都国分寺市にある「オザキホールディングス株式会社」と経営統合し、ソナーレさんはさらなる成長・発展を遂げていると思いますが、今後はどのような経営を考えていますか。
益子:おかげさまでソナーレのブランドは、地方出身で首都圏の音高、音大に進学する層においては比較的高い認知がされているかと思います。
その反面、実家が首都圏(学生時代に一人暮らしの必要がなかった層)だったり、アマチュアで楽器演奏を楽しみたい層にはまだまだ認知が必要かもしれません。
藤井:正に僕も学生時代、20代前半は実家が東京、千葉で、音大出身ではないので、ソナーレさんを知らなかったんですよね。
検索で見つけて入居したのが偶然ソナーレさんの物件だったんです。
益子:これから先、人口減少、少子高齢化で日本人の学生が減るのはほぼ間違いないと思うんですよ。
弊社の「国際営業部」のダルファンディ君が中心になって取り組んでくれている、海外留学生の受け入れ体制を整える仕事やサポートも重要だと感じますし、例えば、音大を卒業したけど現在はアマチュアで活動されている方や、私のように、学生バンド出身で趣味で続けているアマチュア音楽家も多いと思うので、そういった方々にもっとソナーレを知っていただきたいですね。
『ダルファンディ・チャ・キット・オン「ソナーレ・チェロと生きる」日本で見つけた理想の働き方♪』
(参考:「国際営業部」でのお仕事)
実際、医者が本業で、趣味の音楽のためのセカンドハウスとしてだったり、リタイア後の第二の人生を楽しむために弊社の物件に住んでくださる例もあるんです。
藤井:以前インタビューさせていただいた浅野涼先生の場合、彼はピアノも本業ですけど、「医師 x ピアニスト」でソナーレさんの物件にお住まいですよね。
また、終活アドバイザーの佐藤真砂子さんは、現在ご実家の茨城県に戻られていますが、ご主人の東京赴任と、お二人の趣味(ユーフォニアム/クラリネット)のために、正にセカンドハウスとしてソナーレさんの物件に住まれていました。
先ほどもお話ししましたが、コロナ禍では在宅ワークの方が増え、騒音にナーバスな世の中になった事や、昨今の夏は猛暑で、河川敷や公園での練習は出来ない、危険になってきているので、演奏が出来る物件の価値は上がっていく、伸びしろがあるように感じます。
益子:多様化する時代の中で、ニーズも多様化してきていますよね。
さらに言えば、「演奏(練習)をしたい人に住まいを提供する」という基本の部分はある意味当たり前で、同業他社さんでもやっている事なので、
「ソナーレってこういうサポートまでしてくれるんだ!?」
というような、一歩先の価値を提供していきたいと考えています!
その一つがこの『音TOWN』ですね♪
昨年9月にサイトをリリースし、この1年でも、プロアマ問わず、多種多様な音楽との関わりをされている方をご紹介させていただいていますが、これから先は今以上に「音大を出てプロの音楽家になる」という、いわゆる「これまでの王道」だけでなく、さまざまな選択肢が可能な世の中になっていくと思うので、そういった方々にもっと弊社の存在を認知していただき、喜んで住んでいただけるようにしていきたいと考えています。
「音TOWN.Biz」で発信しているような「お金の学び」も、本来義務教育や音大でも教えたほうが良い内容ですよね。
一般大でも、経済学などを専攻しないと学べないかもしれない内容を、フリーランスの音楽家の経験があり、経営者で、ファイナンシャルプランナーの資格もある藤井さんが実体験を元に分かりやすく伝えてくれる事は、これからプロを目指す若い世代にも有益じゃないでしょうか。
藤井:頑張ってお役に立てる記事を発信していきたいですね!
直接的にはソナーレさんの事業やお客様とは関係のない情報を中心に発信させていただいているんですけど、将来的には、関わってくださった方々、読者の皆様がハッピーになり、良いコミュニティが形成されたら良いなと考えています♪
<ソナーレ関係者の結婚披露宴にて@小田原ヒルトンホテル/左端が半田成士社長(アルトサックス)・丸山和明副社長はピアノ/左から3番目が益子さん/藤井は音楽プロデュース・トロンボーンで演奏サポートをさせていただきました>
藤井:最後になりますが、最近はまたトランペットを吹いているそうですね。
益子:数年前に藤井さんにもお手伝いいただいたソナーレ関係者の結婚披露宴や、先日「オザキホールディングス株式会社」の主催で国分寺で開催した「kid’s ワクワクの森」のようなイベントで時々演奏の機会はあるんですけど、テーマパークのバンドを辞めて以来、実質約20年ブランクがあるようなものなんです。
こうして裏方として音楽に関わるお仕事に従事させていただき、会社を支えていく側の立場になった今、多様化していく社会・コミュニティの一員として、私自身もまた、アマチュア奏者としてトランペットを楽しみたい、上手くなりたいと感じました。
モチベーションを上げるために、新たに一本、楽器も買いましたよ!
機会があれば、ぜひソナーレやオザキホールディングス主催・協力のイベントに足をお運びいただき、私たちの演奏も聴いていただければと思います♪
<「kid’s ワクワクの森」の出演者/左から大野充明さん(株式会社mysig)/ソナーレの丸山和明副社長/丸山朋子先代社長/益子さん>
益子 佳久(Yoshihisa Masuko)1978年 埼玉県に生まれる。
1993年 埼玉県立川越高等学校の吹奏楽部に入部しトランペットを始める。
1997年 日本大学入学と同時に早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラに入団(在団中、ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストにて3年連続最優秀賞を受賞)。
2000年 大学卒業と同時にバークリー音楽大学への留学を目指し、資金作りのために千葉県浦安市の某テーマパークのキャストのアルバイトを始める。
2003年 テーマパークバンドに入団。
2006年 演奏家の仕事に区切りを付け、株式会社ソナーレ・音大学生倶楽部(現 株式会社ソナーレ)に入社。
2019年 株式会社ソナーレ取締役に就任。
2023年 株式会社ソナーレ代表取締役副社長に就任。


藤井裕樹/音TOWNプロデューサー
【株式会社マウントフジミュージック代表取締役社長・『音ラク空間』オーナー・ストレッチ整体「リ・カラダ」トレーナー・トロンボーン奏者】 1979年12月9日大阪生まれ。19歳からジャズ・ポップス系のトロンボーン奏者としてプロ活動を開始し、東京ディズニーリゾートのパフォーマーや矢沢永吉氏をはじめとする有名アーティストとも多数共演。2004年〜2005年、ネバダ州立大学ラスベガス校に留学。帰国後、ヤマハ音楽教室の講師も務める(2008年〜2015年)。現在は「ココロとカラダの健康」をコンセプトに音楽事業・リラクゼーション事業のプロデュースを行っている。『取得資格:3級ファイナンシャル・プランニング技能士/音楽療法カウンセラー/メンタル心理インストラクター®/安眠インストラクター/体幹コーディネーター®/ゆがみ矯正インストラクター/筋トレインストラクター』